アンテナは高く、行動は泥臭く
オリンピック選考会を経て掴んだ「次なる高み」

まずは井戸田さんのご経歴からお伺いしたいです。
岐阜県の可児市(かにし)という場所の出身です。小学校4、5年生の時から陸上競技の「走り高跳び」を始めて、計15〜16年間ずっと打ち込んできました。高校3年生まで地元・岐阜で過ごし、大学は愛知県にある中京大学へ進学して、4年間名古屋で生活していました。
走り高跳びを始めたきっかけは何だったのでしょう。
両親がともに教師なのですが、父親が昔、走り高跳びの選手だったんです。
父は、いわゆる「生徒指導のめっちゃ怖い先生」タイプでした(笑)。兄2人も含め、子どもたちは自然と高跳びを始めることになり、私もその「敷かれたレール」に乗ることになりました。
当時の私は、友達がサッカーをやっているのを羨ましく見つめていました。でも、父がそのまま私のコーチになったこともあり、「やめる」という選択肢は皆無でしたね。
気づけば、「自分=高跳び」という人生になっていました。
素晴らしい実績も残されたと伺っています。
大学4年生のとき、日本学生陸上競技対校選手権大会、いわゆる「日本インカレ」で日本3位になりました。
本来は、大学4年生で競技を引退するつもりだったんです。ただ、その実績によって2020年東京オリンピックの代表選考会に出場する権利を獲得しました。
せっかく自分で掴み取ったチャンスですから、「極限まで挑戦してみたい」と思い、社会人になってからも競技を続けることにしました。
オリンピック選考会の舞台はいかがでしたか?
オリンピックに出場するためには、選考会で1位になるか、参加標準記録を突破する必要がありました。
結果として、そこには届きませんでした。私の自己ベストは2m18cmなのですが、オリンピックに出場するためには、2m30cmほど跳ばなければなりません。
数字だけを見ると、「10cmちょっとの差」に感じるかもしれません。でも、2m10cmから2m20cmに上げることと、2m20cmから2m30cmに上げることでは、難易度の次元がまったく異なります。
その差の大きさを、アスリートとして誰よりも理解できたからこそ、「これ以上、この差を埋めることはできない」と納得できました。
また、厳しかった父には、兄たちを超えてオリンピック選考会に挑んだことで初めて「すごい」と認めてもらえました。だからこそ、競技から一線を退く決断も、気持ちよくすることができたのだと思います。
15年以上も過酷な競技を続けられたモチベーションはどこにあったのでしょうか。
「常に上に誰かがいる」という環境そのものですね。
県大会で優勝しても、東海大会にはもっと強い人がいる。東海大会を勝ち抜いても、全国大会にはさらに上の選手がいる。
どこまで行っても終わりがない競争の世界だったからこそ、「あいつに負けたくない」という気持ちで、常に上のステージを目指し続けることができたのだと思います。
そうやって、目の前の相手や次の目標を追いかけ続けてきたからこそ、自分で限界を決めずに、走り続けることができたのかもしれません。
「日本一の営業」を目指して

競技を引退して社会人として働く際、どのようなキャリアを選択されたのですか?
大学卒業後は、愛知県に本社を置く化粧品メーカーへの就職が決まっていました。
きっかけは、今思えば少し安易な理由でした(笑)。学生時代、腹筋もバキバキでかっこよかった憧れの先輩たちが、就職後にすっかりビール腹になって競技場に戻ってきたんです。「俺の憧れた先輩を返してくれ…」と思いました(笑)。
そこで、自分は社会人になっても身だしなみや美容への意識を高く保てる環境で働きたいと考え、化粧品業界を選びました。
入社後はどのようなお仕事をされていたのですか?
オリンピック選考会が終わって競技を引退した後は、本格的に営業職として活動をスタートさせました。私は美容室向けのサロン専売品を扱う「プロフェッショナル部門」に配属され、専門性の高いカラー剤やトリートメントなどの商品を美容室様へ販売する法人営業を3年間担当しました。
そこから、M&Aベストパートナーズ(以下、MABP)に転職したのはどうしてですか?
私はずっと「競争」の中で生き、勝ち負けや成長にやりがいを感じてきました。務めていた化粧品メーカーは素晴らしい会社でしたが、温和で年功序列な環境の中で、「このまま20代を過ごしていいのか」と悩むようになったんです。
結果を出した分だけ評価される環境で、営業として日本一を目指したい。そう考えて調べる中で、目に留まったのがM&A業界でした。
その中でもMABPを選んだのは、業界トップクラスの実績を誇る環境だったこと、そして何より、面接で出会った代表取締役副社長の松尾さんの存在が大きかったですね。
松尾さんも元陸上部で、面接では陸上の話で意気投合しました。オリンピックを目指して極限まで努力してきた経験にも深く共感してくださり、「この人のもとで働きたい」と思えたことが、最終的な決め手になりました。
前職で培った「アンテナ」と、人間力で勝負する

実際にM&A業界へ飛び込んでみて、どのようなギャップを感じましたか?
法人営業という共通点はありますが、「扱うものの重さ」がまったく異なりました。
前職では、サロンの経営幹部や社長に対して「カラー剤やトリートメントをどう活用し、お客様に喜んでもらうか」という提案をしていました。しかし、M&Aアドバイザーの仕事は、経営者が人生をかけて築き上げてきた会社の譲渡であり、まさに「オーナー様の人生そのものを背負う」仕事です。
物を通じてつながっていた世界から、物がない中でオーナー様の“思い”と深く繋がっていく、究極の人間勝負の世界。同じ営業でも背負うものの重みが全く違うことに、当初は大きなギャップと凄まじい責任の重さを感じました。
前職の経験が活きていると感じる部分はありますか?
最近特に感じるのは、新規のお客様を開拓するための「アンテナの高さ」です。
前職時代は、競合メーカーの圧倒的なシェアをひっくり返すことが大きな課題でした。そこで私は、ネットの情報だけに頼らず、営業エリアを車で走りながら、「外観がきれい」「いつも駐車場が満員」といった美容室を自分の目で見つけ、開拓していました。
この感覚は、今のM&Aの仕事にも活きています。出張先でトラックや工事車両、街中の看板などを見て、「これは良い会社かもしれない」と思ったら、すぐに調べてアプローチします。
データベースだけでは見つからない、地域に根ざした優良企業を、自分の足とアンテナで見つけ出す力。それは、前職で泥臭い開拓営業を続けてきたからこそ得られた強みだと思います。
経営者の方々と日々接するうえで、一番大切にしていることは何ですか?
良い意味での「お人好しさ」を全面に出し、「目の前の社長に対して、いかに力になれるか」を徹底的に追求することです。
近年は業界内でのトラブルや強引な提案なども一部で問題視されるようになっています。そのような環境で、最終的に経営者様から選ばれ続けるアドバイザーとはどんな人物か。それは「いかに利己的にならず、自分の会社のことを本気で考えて動いてくれるか」に尽きると思うのです 。
オーナー様はどのような未来を目指しているのか。その思いにどこまでも寄り添って傾聴することを、一番大切にしています。
折れそうな心を支えた覚悟と、組織で高め合うチームワーク

M&Aアドバイザーとしての仕事は、決して平坦な道ばかりではなかったと思います。初成約までの期間はいかがでしたか?
正直に言うと、初成約までに時間がかかりました。同期や社内でも、最も遅い部類に入ると思います。
これだけ長い間成約がないと、プレッシャーに耐えかねて途中で辞めてしまう人も少なくありません。私自身も何度も心が折れそうになり、「もう辞めよう」と転職を考えたこともありました。
それでも踏ん張ることができた理由は、大きく2つあります。
1つは、「自分で登ると決めて、この世界に挑戦した」という、アスリート時代から培ってきたプライドと覚悟です。一度自分で決めた道を、途中で投げ出すことは、自分自身が許せませんでした。
もう1つは、家族の存在です。特に母親は、転職後もずっと私の挑戦を心から応援してくれていました。成果が出ずに苦しいときも優しく励ましてくれた母を、いつか成果を出して喜ばせたい。その想いが、苦しい時期に私を踏みとどまらせてくれた一番の原動力だったと思います。
だからこそ、初めての成約が決まったときの喜びは、言葉では言い表せませんでした。
ここまで泥臭く、諦めずに踏ん張ってきた自分の姿が、「簡単に諦めずに踏ん張れば、道は拓ける」ということを伝えるきっかけになれば嬉しいですね。
個人プレイのイメージが強いM&Aアドバイザーですが、社内のチームワークについてはいかがですか?
個人で数字を追うだけでなく、「チーム全員で同じ目標に向かう環境」をつくることを意識しています。チーム全員で実施している週次ミーティングでは、成果や案件の進捗、課題を共有し、それぞれに対して全員で意見を出し合います。
以前は上司と1対1で話すことが多く、周囲の状況が見えにくい部分もありました。今はチームで密にコミュニケーションを取ることで、「自分は一人で戦っているわけではない」と感じられるようになりました。特に出張先で感じていた孤独がなくなったことは、大きな変化ですね。
泥臭く挑戦し続けられる最高の環境
現在、お仕事やプライベートで、新たにチャレンジしていることはありますか?
最近は、体作りなど自己管理を改めて徹底しています。週末は必ずジムに行き、自宅近くをランニングするなど、本格的なトレーニングを再開しました。
経営者の方々には、非常にストイックな方も多くいらっしゃいます。そうした方々と向き合ううえで、自分自身も律し、常にベストな状態を維持することを意識しています。
30代を迎えるにあたり、仕事だけでなく、細部まで自分を律する姿勢を貫いていきたいですね。
今後、井戸田さんが描いているキャリアビジョンや将来の目標を教えてください。
将来的には、自分自身が経営者、あるいはそれに近い立場でビジネスを牽引したいと考えています。
以前は、M&Aの案件化や成約を最優先に考えていた時期もありました。しかし今は、「M&Aは経営者にとって数ある選択肢の一つ」だと考えています。
だからこそ、M&Aアドバイザーという枠を超え、一人の人間として経営者と長く関係を築いていきたい。その中で、「会社を任せたい」「右腕として力を貸してほしい」と思っていただけるような存在になることが、今後の目標です。
最後に、これからM&Aアドバイザーを目指す候補者の方々へ、メッセージをお願いします。
決して楽な道ではありません。転職して、その厳しさを私自身も痛いほど実感しました。しかし、その厳しさがあるからこそ、困難から逃げずに「常に自分を奮い立たせ、高い山へ挑戦し続けたい」という強い気持ちを持った人には、これ以上ない素晴らしい成長環境が整っています。
泥臭く、気合いと根性を持って、人間勝負の世界で自分の限界に挑みたい方は、ぜひMABPの環境に挑戦してほしいと思います。
取材:2026年8月
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