北海道札幌市手稲区に本社を構える極東機械株式会社は、建設機械や車両のリース・レンタルをメイン事業とする会社だ。1978年の創業以来、45年にも渡って、地域の建設業を始めとした事業者へ貢献してきた。
代表取締役会長の荒木靖彦氏が同社を創業するまでには、さまざまな苦労があった。中国・満州で生まれ育ち、日本に移り住んできたのは5歳の時。1946年6月に博多に上陸し、母の実家、愛媛県に住むも戦後の食糧難の影響を受け、翌年の10月に父が採用された北海道釧路の炭鉱に移った。学生時代を釧路で過ごした荒木氏はやがて東京の大学を卒業後、銀行に就職。しかし自ら商売を起こしたい持ち前の気質が手伝って、サラリーマンには向いていないと感じ、10ヶ月勤務後に辞職。北海道の実家に帰省し、司法試験合格を志した。4年ほど勉強した後、能力がないことを悟り、札幌にある重機メーカーに就職。10年間営業を経験した後、自ら同業種で商売を始めたいと思い立ち、辞職。1978年に極東機械株式会社を創業した。
創業当時は重機のレンタルがブームになり始めの頃だったため、順調に利益が上がった。しかし時代の流れと共に多くの会社が参入。価格のたたき合いで当時のようにはいかなくなった。国はコロナ禍で建設業に巨額を投資したが、今後は回収する動きが出ると予想されるため、公共工事に回せる額は少なくなる見込みだ。そうなれば建設業者はレンタル料も当然、コスト減を考えるだろう。ますます同事業の未来は懸念される。
こうしたなか、荒木氏がM&Aを検討し始めたのは、今回の契約から4~5年前のこと。会社存続のためにも、新たな展開を考える必要があった。2023年で創業から45年目を迎える、長い期間、経営してきた愛情の深い会社だ。荒木氏の中には、今後のビジョンは明確にあった。
M&Aストーリー
極東機械株式会社
M&A成約事例
「この人に売れば間違いない」金額より大事なのは相手の買いたい理由
M&Aに至る背景創業40年余の愛情ある会社に手放しどきが訪れた
M&Aの決断買い手と売り手のどちらにも偏らない中立の姿勢に信頼
M&Aを検討していた当時、複数のM&A仲介会社から資料の送付を受けていたが、あまり信用できるところはなかったと荒木氏は振り返る。そんな折、2021年5月にMABPの黒田から電話を受けた。荒木氏はその時点で「この人なら、信用できるかもしれない」と直感し、会ってみようと決意した。
他のM&A会社の担当者にも3~4人会ったが、黒田は他とは決定的に違う点があったという。それは売り手と買い手の間のどちらにも偏らず、中立を保っていた点だ。荒木氏はかつて新聞記事でM&Aの悲惨な失敗談を読んだことがあった。それは自社の取り分がほとんどないまま契約結んでしまい、従業員もろとも後悔したという実話だった。また自身も一度、他社の仲介でM&Aを進めた際に、M&A担当者が買い手の立ち場に偏っていることから、取引をやめた経験を持つ。M&A仲介者の多くが買い手と売り手のどちらかに偏りがちなところ、黒田のように忠実にどちらにもブレない姿勢は、売り手にとって大きな信頼になると荒木氏は強調する。
黒田との初対面で昼食を共にしながら話しているうちに、やはり信頼できる人だと感じ、一任することを決めた。それから2週間に1度程度と、頻繁に会うようになった。その間、荒木氏は黒田との取引をやめようという気は一度も起きなかったという。
黒田から数社、紹介を受けた中で、最終的に荒木氏が決めたのは3社目に紹介された会社だった。「当然、売却額は1千円でも高いほうがいいが、それよりも、相手方がどのような立場で買うかのほうが大事だ」と荒木氏。「どうしてもうちの会社がほしいが、これしか金額を出せないと言ってきたら、売り手はそれを検討すべき。私はそのようなタイプだ」と語る。
決め手となったのは、社長の人柄。いつも作業着を着ており、工事現場に自ら赴くタイプの社長だ。荒木氏の持論として、このタイプの社長は、絶対に会社を倒産させないという。一方、背広を着て、大きな車にゴルフ用品を積み込み、「今度、一緒にゴルフをやりましょう」と営業するような社長の会社はたいてい5~6年後になくなっていることが多いという。作業着で現場に出て汗水たらす社長は、そのようなことはない。「金額よりも、この人に売れば間違いないと思った」と荒木氏は振り返る。
他のM&A会社の担当者にも3~4人会ったが、黒田は他とは決定的に違う点があったという。それは売り手と買い手の間のどちらにも偏らず、中立を保っていた点だ。荒木氏はかつて新聞記事でM&Aの悲惨な失敗談を読んだことがあった。それは自社の取り分がほとんどないまま契約結んでしまい、従業員もろとも後悔したという実話だった。また自身も一度、他社の仲介でM&Aを進めた際に、M&A担当者が買い手の立ち場に偏っていることから、取引をやめた経験を持つ。M&A仲介者の多くが買い手と売り手のどちらかに偏りがちなところ、黒田のように忠実にどちらにもブレない姿勢は、売り手にとって大きな信頼になると荒木氏は強調する。
黒田との初対面で昼食を共にしながら話しているうちに、やはり信頼できる人だと感じ、一任することを決めた。それから2週間に1度程度と、頻繁に会うようになった。その間、荒木氏は黒田との取引をやめようという気は一度も起きなかったという。
黒田から数社、紹介を受けた中で、最終的に荒木氏が決めたのは3社目に紹介された会社だった。「当然、売却額は1千円でも高いほうがいいが、それよりも、相手方がどのような立場で買うかのほうが大事だ」と荒木氏。「どうしてもうちの会社がほしいが、これしか金額を出せないと言ってきたら、売り手はそれを検討すべき。私はそのようなタイプだ」と語る。
決め手となったのは、社長の人柄。いつも作業着を着ており、工事現場に自ら赴くタイプの社長だ。荒木氏の持論として、このタイプの社長は、絶対に会社を倒産させないという。一方、背広を着て、大きな車にゴルフ用品を積み込み、「今度、一緒にゴルフをやりましょう」と営業するような社長の会社はたいてい5~6年後になくなっていることが多いという。作業着で現場に出て汗水たらす社長は、そのようなことはない。「金額よりも、この人に売れば間違いないと思った」と荒木氏は振り返る。
M&Aの振り返りと展望無事に譲渡でき従業員も安堵。今後も貿易会社で夢に向かう
M&Aを終えた後、「正直、ほっとした」と荒木氏。自分が生きているうちに無事に終えられたこと、良い会社に売ることができたこと、そして妻、子どもはもちろん、従業員に喜ばれたことも安堵の理由だ。特に従業員にとっては、今後の会社の未来への懸念は思いのほか大きいものだったため、会長が存命のうちに終えられたことは大きな成果となった。
荒木氏自身は今後、30年ほど前に個人で立ち上げた貿易会社の新たな展開を考えているという。同社ではかつて渡独した際に魅了されたピアノなどの楽器の輸入を手がけているが、今後は拡充する予定があるという。
根っからの経営者であり商売好きの荒木氏は、この先も休むことなく貿易会社で新たな夢を追いかけ続ける。
荒木氏自身は今後、30年ほど前に個人で立ち上げた貿易会社の新たな展開を考えているという。同社ではかつて渡独した際に魅了されたピアノなどの楽器の輸入を手がけているが、今後は拡充する予定があるという。
根っからの経営者であり商売好きの荒木氏は、この先も休むことなく貿易会社で新たな夢を追いかけ続ける。
オーナー様を支える存在、「縁の下の力持ち」に拘る
M&Aストーリー
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