M&Aストーリー

株式会社大志工業
M&A成約事例

家族のように育て上げた従業員の雇用を守りたい。

M&Aに至る背景1日14時間、懸命に働き育て上げた会社、2回のM&A話は実を結ばず。

M&Aに至る背景
小川志津夫氏は、高校卒業後、会社員となったが36歳で独立。4ヶ月程度の早いスパンで起業に至った。その際、宮城県多賀城市で1990年6月に設立したのが、株式会社大志工業である。「あの頃は、ちょうどバブルがはじけて、世の中の需要が良かった」と小川氏は当時を振り返る。
公共事業が多く出回り、経営も満足にできない時期にも仕事には恵まれた。当初は防波堤工事などの海洋土木に5年携わり、その後は、陸上の工事で勝負しようと主戦場を変える。純粋に、仕事をやればお金が残り、経営が成り立つ。当時、小川氏はそんな思いのもと、懸命に働いた。それが自分の責務であり、1日14時間くらい働くことが当たり前の毎日が続いた。勉強に励み、従業員も育てた。まるで学校のように一から教育した。仕事が終われば仕事の話はせず、飲みに連れて行った。従業員の家族も一緒に花見やBBQも楽しみ、家族のような絆を作っていった。そうして大きく育っていった33年目の大志工業。現在、従業員数は23名、下請け企業を入れると35名前後となる。
M&Aに至る背景
会社設立から30年余りが経ち、すでに会長となっていた小川氏も70歳を過ぎ、そろそろ将来のことを考え始めていた。M&Aについては今回の譲渡契約以前、3~4年前から検討していたという。付き合いのある銀行から後継者やM&Aの話がもちかけられ、やがて仲介するといって建築会社を紹介された。話は70%ほどまでつき、まとまりそうだった矢先に、事件が起きた。当時、社長だった娘さんが病気で倒れてしまったのである。先のM&Aは条件面でも合わない部分があったが、娘さんの件が大きな理由となり、1社目の譲渡の話はなくなった。
仕切り直しをし、2社目の仲介会社が候補企業を連れて現れたが、目的がマッチしなかった。小川氏は従業員を家族のように育て上げ、これからもみんなで大きくしていくという経営方法。一方で、相手先企業は投資の色が強かった。たとえ条件面で契約がうまく成立したとしても、従業員はあっという間に散ってしまう。それでは従業員に申し訳ない、と小川氏は2社目も断った。

M&Aの決断シナジー効果抜群の相手企業との出会いと決め手になったこと。

M&Aの決断
そうしてMABPが仲介に入った3社目で、ようやく身を結んだ。小川氏が初めて担当黒田紘章と出逢ったのが2021年11月のこと。黒田は、小川氏からこれまで仲介していた銀行や、他社仲介会社への不満を聞いてプレッシャーに感じた部分もあったが、「僕がやらなければ誰かがやる。それなら、僕がやらなければ」と決心。条件面の要求が日に日に高まり、14回もの契約書類の作り直しなどがあったが、譲渡側の当然の権利であり、それを叶えることも仕事だと思い、全力を尽くした。途中から仕事の域を超え、「会長のために走り切りたい」という気持ちにまで変化した。
契約後、小川氏は黒田のことを「仕事をやり遂げるという信念がある。20代でたいしたもの。できればうちの2代目についてほしいくらい」と高く評価する。小川氏も、契約書類を何十回も作り直すことについては、「相当、面倒くさいお客」だと自身を表現。しかし、このM&Aは小川氏にとって最後の集大成であるため、妥協せず、自分が描いてきた形をとりたかったという。

小川氏がオーダーした条件には、従業員を長く最後まで面倒をみてくれることや、娘さんの雇用条件などがあった。譲渡先を共に探す中、運よくシナジー性が抜群に良い相手企業が見つかった。相手は、首都圏で舗装工事を行っている会社で、これまで大志工業が他社に委託していた舗装工事を依頼したり、反対に、構造物の工事を受けたりすることができる。つまり、自社内で業務をまかなえるところが好相性のポイントとなったのだった。小川氏は他に、地域が異なり競合しないことや、社長が若いことを評価した。
相手企業とは、自己紹介や食事の機会など会う回数を重ね、徐々に小川氏は決心に至ることとなった。一番の決め手となったのは、相手の会社に訪問した際に見せられた予算の管理表。毎日売上や経費を記録し、各現場でのキャッシュフローが一目瞭然になっている。相手の社長から「当社の管理方法を徐々に真似していってほしい」と言われた。それを見て、「この人は、原価管理の仕方を分かっている。真面目に一生懸命やる人だな」と小川氏は感じた。

譲渡契約が行われたのは、2022年7月、小川氏が黒田と初めて対面してから9ヶ月ほどが経った後のことだった。契約書類に捺印する際の心境について小川氏は後日談として、「日々心境が変わる。天国と地獄が1時間おきに訪れる」と話す。地獄は、仕事の需要が減ってきていること、そして人事の問題などから、現在の形を長きにわたって維持できるかどうかを考えると大いに不安になった。一方天国は、仕事があって、順調に利益があがり、従業員にボーナスや給料をしっかりと出せる状態を維持できること。譲渡後はこれまでのように「全部自分で責任とればいい」とはできない。けれども「それが宿命だから」と小川氏は自身をなだめる。一方で、自分の肩の荷が多少下りたという気持ちもある。M&A譲渡する側にしかわからない、実に複雑な心境だ。

M&Aの振り返りと展望後継者を育て上げることがミッション 子ども食堂への寄付も。

M&Aの振り返りと展望
譲渡契約後の翌週、従業員説明会で小川氏自ら従業員へ今回のM&Aを報告した。当初は、“従業員を他の会社に売った”かのような報告をせざるを得ないことに抵抗を感じていたが、従業員にとって一番大事なのは、今後とも、今より雇用状況が悪くならず、持続できるということ。従業員を安心させるために、小川氏は真摯な思いを伝えた。結果、従業員たちからは反対の声もなく、受け入れてくれたのだった。
小川氏自身は、以後会社に残り、後継者を育てていくことを自身のミッションとして定めている。後継者には「個人の好き嫌いで仕事を行ってはいけない。最善のいい仕事にするには、どんな最善の方法があるのかを考えてほしい」という。

プライベートでは、「子ども食堂」へと食材の寄付を行う展望があるという。小川氏自身、孫がいないことから、子どもたちを見かけると、何かしてやりたくなるそうだ。特に、貧困に苦しむ子どもたちを思うと怒りすら湧いてくる。月に1回くらいは、そんな子どもたちに貢献したいと、持ち前の深い愛情を今後、社内だけでなく、広く社会にも広げていく計画だ。

担当アドバイザー

担当アドバイザー

オーナー様を支える存在、「縁の下の力持ち」に拘る
次長黒田 紘章
得意業種
建設 不動産
資格
  • 事業承継・M&Aエキスパート
  • 宅地建物取引士
  • M&Aストーリー

    M&Aを実施する目的や背景は多岐にわたって存在するため、
    ひとつとして同じ案件や事例は存在しません。

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