M&Aストーリー
保安道路企画株式会社
M&A成約事例
改善ではなく改革を推進する、「非連続的な成長」を求めて。
M&Aに至る背景M&Aで買い受けた会社を、 M&Aで引き継ぐ。
1974年創業の保安道路企画株式会社は、道路の区画線工事・案内標識工事を行う会社だった。同社に取引先の営業担当者として出入りしていたのが、のちに社長に就任することとなる森健太郎氏である。当時、先代社長は70代と高齢で、後継者もいなかった。そこで先代社長と親交の深かった森氏が、2000年に同社を買い受けることになったのだ。
社員は数名程度にもかかわらず、多額の借金を抱えている。そんな中、「ひとりM&A」のような形で会社を引き継いだ森氏は、さまざまな改革を断行していった。保安道路企画の名の通り、同社では道路の保安機材を取り扱っていたが、商品に独自性はなかった。価格競争が激しく、このまま同じ商売を売り続けても借金完済は難しいだろう。そう判断した森氏は、アメリカへ視察に赴くことにした。そこで出会ったのがポストフレックスである。
道路に設置される視線誘導標のポストフレックスは、復元力の高い凸型形状が特徴で、高品質・低価格を実現していた。これはいける、と森氏は直感したという。常識に縛られず、未開拓の分野に挑戦するのが森氏のポリシーだ。保安道路企画を再生させるためには、オリジナル商品が絶対に必要だった。当時の視線誘導標は日本製が当たり前。そんな業界の風習を打破するべく、アメリカ製のポストフレックスを国内に持ち込むことにした。
社員は数名程度にもかかわらず、多額の借金を抱えている。そんな中、「ひとりM&A」のような形で会社を引き継いだ森氏は、さまざまな改革を断行していった。保安道路企画の名の通り、同社では道路の保安機材を取り扱っていたが、商品に独自性はなかった。価格競争が激しく、このまま同じ商売を売り続けても借金完済は難しいだろう。そう判断した森氏は、アメリカへ視察に赴くことにした。そこで出会ったのがポストフレックスである。
道路に設置される視線誘導標のポストフレックスは、復元力の高い凸型形状が特徴で、高品質・低価格を実現していた。これはいける、と森氏は直感したという。常識に縛られず、未開拓の分野に挑戦するのが森氏のポリシーだ。保安道路企画を再生させるためには、オリジナル商品が絶対に必要だった。当時の視線誘導標は日本製が当たり前。そんな業界の風習を打破するべく、アメリカ製のポストフレックスを国内に持ち込むことにした。
2003年に販売を開始すると、瞬く間に評判を呼び、国土交通省や地方公共団体に広く採用されることになった。2012年にはテレビ番組「ほこ×たて」に最強のポールとして出演し、最強のロードローラーに勝利。翌2013年にはグッドデザイン賞を受賞する。森氏が引き継いだ際、個人商店に近い零細企業だった保安道路企画は、わずか10年ほどで一気に業界トップシェアの企業に成長した。さらに、折りたたみや持ち運びがしやすい伸縮式のパックコーンや、車両等に踏みつけられても破損やひび割れが起こりにくい素材でつくられたレボコーンなど、次々とヒット商品を生み出していく。
会社は順風満帆かと思われたが、森氏はある懸念を抱いていた。技術の進歩や顧客ニーズの多様化によって、既存のビジネスの延長線上では変化に対応することが難しくなっている。改善ではなく改革を推進する、「非連続的な成長」が求められているのだ。保安道路企画が進むべき道は、どんな道なのか。その選択肢のひとつにM&Aがあった。
会社は順風満帆かと思われたが、森氏はある懸念を抱いていた。技術の進歩や顧客ニーズの多様化によって、既存のビジネスの延長線上では変化に対応することが難しくなっている。改善ではなく改革を推進する、「非連続的な成長」が求められているのだ。保安道路企画が進むべき道は、どんな道なのか。その選択肢のひとつにM&Aがあった。
M&Aの決断M&Aを決断するのであれば、 少し早いくらいがちょうどいい。
2015年に一度、M&Aの話が持ち上がったことがある。保安道路企画を買いたい、という大阪の上場企業からのオファーだった。もともと森氏自身が「ひとりM&A」で同社を買い受けていたこともあり、M&Aに対するネガティブなイメージはなかった。会社が乗っ取られる、といったようなことはなく、会社を成長させるための手法だと、むしろポジティブにとらえていた。しかし、そのときは条件が折り合わず破談となる。自身の年齢的にも、もう少しやってみよう、という思いが森氏にはあった。
それから4年後の2019年6月、森氏はMABPで代表取締役社長を務める齋藤達雄と出会うことになる。年齢も50代にさしかかり、本格的にM&Aを検討しようという考えが芽生えていた。ビジネス上、アメリカの企業と接する機会の多い森氏は、「早期のセミリタイア=成功」という海の向こうの文化を肌で感じていた。勤勉に働き、定年まで勤めあげることが一般的な日本においても、そんな考えを持つ人が増えてもいいのではないか。ある種の憧れのようなものもあった。
会社を引き継ぎ、自分は経営の第一線から退く。そして、M&Aを決断するのであれば、少し早いくらいがちょうどいい。会社の業績がよく、自分自身も元気なうちに動いておくのだ。会社も自分も弱ってからでは、買収の条件が悪くなってしまう。そこでM&Aの専門家から具体的な提案を受けることにした。
それから4年後の2019年6月、森氏はMABPで代表取締役社長を務める齋藤達雄と出会うことになる。年齢も50代にさしかかり、本格的にM&Aを検討しようという考えが芽生えていた。ビジネス上、アメリカの企業と接する機会の多い森氏は、「早期のセミリタイア=成功」という海の向こうの文化を肌で感じていた。勤勉に働き、定年まで勤めあげることが一般的な日本においても、そんな考えを持つ人が増えてもいいのではないか。ある種の憧れのようなものもあった。
会社を引き継ぎ、自分は経営の第一線から退く。そして、M&Aを決断するのであれば、少し早いくらいがちょうどいい。会社の業績がよく、自分自身も元気なうちに動いておくのだ。会社も自分も弱ってからでは、買収の条件が悪くなってしまう。そこでM&Aの専門家から具体的な提案を受けることにした。
一方の齋藤は、森氏の仕事観や人生観に感銘を受けるとともに、保安道路企画の事業に可能性を感じていた。当初は保安機材のリース会社という認識だったが、メーカー機能もあり、特にオリジナル商品に強みを持っている。その強みを伸ばしてくれる投資会社と組むのがベストだろうと判断した。
齋藤が森氏に引き合わせたいわかぜキャピタル株式会社は、独立系のプライベート・エクイティ投資ファンド運用会社である。代表取締役社長の植田兼司氏は、自ら商談の席についた。投資会社が譲受企業となる場合、トップが現場に現れることはほとんどない。まず森氏はそこに好感を持った。M&A自体にネガティブなイメージはなかったものの、狙った会社の株を安値で買いあさり高い値で売り抜いて楽に儲ける、いわゆるハゲタカファンドに対しては強い警戒感を持っていた。その不安は植田氏と直接会って一掃された。
どうやって事業価値を上げていくか。それが投資会社側の話の本筋である。ビジネスライクな内容ではあるのだが、しかし森氏は、植田氏に対してにじみ出る人柄のよさを感じていた。あたたかい人間味が隠しきれないのだ。さらに、いわかぜキャピタルの投資先の社長に話を聞くと、植田氏は相当な切れ者だという。「味方につければ、こんなに頼りになる人はいない」という言葉が、最後の後押しとなった。
齋藤が森氏に引き合わせたいわかぜキャピタル株式会社は、独立系のプライベート・エクイティ投資ファンド運用会社である。代表取締役社長の植田兼司氏は、自ら商談の席についた。投資会社が譲受企業となる場合、トップが現場に現れることはほとんどない。まず森氏はそこに好感を持った。M&A自体にネガティブなイメージはなかったものの、狙った会社の株を安値で買いあさり高い値で売り抜いて楽に儲ける、いわゆるハゲタカファンドに対しては強い警戒感を持っていた。その不安は植田氏と直接会って一掃された。
どうやって事業価値を上げていくか。それが投資会社側の話の本筋である。ビジネスライクな内容ではあるのだが、しかし森氏は、植田氏に対してにじみ出る人柄のよさを感じていた。あたたかい人間味が隠しきれないのだ。さらに、いわかぜキャピタルの投資先の社長に話を聞くと、植田氏は相当な切れ者だという。「味方につければ、こんなに頼りになる人はいない」という言葉が、最後の後押しとなった。
M&Aの振り返りと展望M&Aアドバイザーは、 自分たちの一番の味方であってほしい。
いわかぜキャピタルは、投資担当者が経営に深く関わるハンズオンが基本で、経営改革を行い、それを仕組み化していく。「非連続的な成長」を望む森氏にとっては、最良の相手といえた。
M&Aを進めるにあたっては、海外の原料輸入先からの許諾であったり、財務・法務調査への対応であったりと、一筋縄ではいかないことも多かったが、森氏は齋藤のサポートも受けながら、それらを一つひとつクリアしていった。とにかく譲受企業に対して提出する書類が多く、その根拠や経緯なども含めて、ここまで会社を丸裸にされるものなのか、と感じたという。また、専門性の高い契約書の作成段階においては、顧問弁護士にも入ってもらった。
そして、森氏が齋藤に初めて会ってから約1年半の期間を経て、2020年12月にいよいよクロージング(M&Aの成立=経営権の移行)となった。コロナ禍ということもあり、月2回の経営会議はオンラインで実施されている。劇的な変化はまだないものの、在庫管理を含む細かい部分の改善など同社のサポートを受けながら、新しい気づきを経営に取り入れて、一歩ずつ前進していっている。共同代表として社長業を継続する森氏は、在任期間中に事業の柱を新たに1本立てることを目標としている。
また、今回のM&Aを通じて森氏が強く感じたのは、M&Aアドバイザーのポジショニングの重要性である。売り手(譲渡企業)側にも買い手(譲受企業)側にもつくM&Aアドバイザーは、公正中立な立場から的確かつ適切なアドバイスをすることが大前提として求められている。しかし、譲渡企業である自分たちと相対するときは、自分たちの一番の味方であってほしい。半歩先を歩きながら、正しい方向に自分たちを導いてほしいのだ。今回のM&Aは、齋藤にとってもMABPのあるべき姿を見つめ直す貴重な機会となった。
M&Aを進めるにあたっては、海外の原料輸入先からの許諾であったり、財務・法務調査への対応であったりと、一筋縄ではいかないことも多かったが、森氏は齋藤のサポートも受けながら、それらを一つひとつクリアしていった。とにかく譲受企業に対して提出する書類が多く、その根拠や経緯なども含めて、ここまで会社を丸裸にされるものなのか、と感じたという。また、専門性の高い契約書の作成段階においては、顧問弁護士にも入ってもらった。
そして、森氏が齋藤に初めて会ってから約1年半の期間を経て、2020年12月にいよいよクロージング(M&Aの成立=経営権の移行)となった。コロナ禍ということもあり、月2回の経営会議はオンラインで実施されている。劇的な変化はまだないものの、在庫管理を含む細かい部分の改善など同社のサポートを受けながら、新しい気づきを経営に取り入れて、一歩ずつ前進していっている。共同代表として社長業を継続する森氏は、在任期間中に事業の柱を新たに1本立てることを目標としている。
また、今回のM&Aを通じて森氏が強く感じたのは、M&Aアドバイザーのポジショニングの重要性である。売り手(譲渡企業)側にも買い手(譲受企業)側にもつくM&Aアドバイザーは、公正中立な立場から的確かつ適切なアドバイスをすることが大前提として求められている。しかし、譲渡企業である自分たちと相対するときは、自分たちの一番の味方であってほしい。半歩先を歩きながら、正しい方向に自分たちを導いてほしいのだ。今回のM&Aは、齋藤にとってもMABPのあるべき姿を見つめ直す貴重な機会となった。
お客様プロフィール
保安道路企画株式会社
代表取締役森 健太郎 氏
1974年、横浜で創業。2000年、もともと取引先の営業担当者だった森健太郎氏が同社を買い受ける形で社長に就任する。オリジナル製品のポストフレックスやパックコーン、レボコーン等を製造・販売・リース。中でもポストフレックスは国土交通省や地方公共団体に広く採用され、テレビ番組にも取り上げられる。2013年にはグッドデザイン賞を受賞。資本金1,200万円。従業員40名。神奈川県横浜市旭区鶴ヶ峰本町1丁目12-10
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世紀の躍進を
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