M&Aストーリー

進和基礎工業株式会社
M&A成約事例

現状維持は衰退のはじまり。チャンスがあるなら前に進もう。

M&Aに至る背景業界の先行き不安と人材不足から、パートナーとなる企業を探しはじめる。

M&Aに至る背景
1969年、須長正樹氏の父親である茂山勇治氏が管工事業を個人創業したことで、進和基礎工業の歴史は始まる。1974年に法人化、1996年には須長氏の母親である和子氏が代表取締役に就任し2名体制となる。そして2003年、須長氏が両親から会社を引き継ぐこととなった。

グラウンドアンカー工事および各種ボーリング工事の事業を手がける同社の強みは、工事機器を自社保有し、設計から施工までワンストップで請け負う点にある。技術力の高い職人が在籍し、大手ゼネコンや重仮設資材商社等から安定した受注を獲得していた。

しかし、決して順風満帆だったわけではない。父親が病に倒れ、当時別会社で働いていた須長氏が進和基礎工業に戻ってきたのは24歳のころ。29歳で副社長となり、新たな取引先を見つけるべく奔走した。ようやく事業も軌道に乗り、父親を亡くす前年に経営のバトンを受けとるのだが、その際、同社は多額の負債を抱えていた。
M&Aに至る背景
結局、返済には十数年もの期間を要した。50歳を越えた須長氏は、次なる展開を模索しはじめる。自分は親から当たり前のように会社を引き継いだが、子どもたちには自由に職業を選ばせてあげたい。もともと世襲に対するこだわりはなかった。かといって、従業員の中から次期社長を選ぶにも、彼らは自分よりも年上か同年代で、現実的ではないように思われた。

また、建設業界は少し前まで「建設バブル」と呼ばれるほどの好況だったが、現在は新型コロナウイルス感染症拡大の影響で苦境に立たされている。2019年度には65兆円以上とみられていた建設投資額が、2020年度に約63.4兆円、2021年度には約61.8兆円まで減少するとの見通しがなされ、業界としての先行き不安は拭えなかった。加えて人材不足も深刻だ。建設業就業者はピークだった1997年以降減少傾向にある。さらに、55歳以上の高齢者が1/3以上を占め、高齢化も進んでいた。

進和基礎工業でもそれは同じ。仮に工事依頼があっても人手が足りない。業績を伸ばしたくても伸ばせない状況にあった。ここから進和基礎工業単体で攻めの経営に転ずるのは難しいかもしれない。そこで須長氏は、パートナーとなる企業を探すことにした。

M&Aの決断1+1が2ではなく、3にも4にもなる。

M&Aの決断
須長氏がMABPの俵和孝と会ったのは、2020年末のことだ。ちょうど翌年の経営計画を練っているところだった。第一印象は「ずいぶん若い担当者だな」。ただ、なにかと年齢がものを言う建設業界で、自身も29歳で副社長になって苦労した経験があるので、まずはフラットに話をしてみようと思ったという。

多くの経営者がそうであるように、須長氏もまた、M&Aに対してあまりいいイメージを持っていなかった。大きな会社が小さな会社を吸収する。小さな会社の伝統や文化は失われ、元従業員は大きな会社の中で生きづらさを感じながら働き続ける。そんなイメージだ。しかし、俵から説明を受けたのは、「対等な立場で行われるM&Aの形もあります。私たちは双方がWin-Winの関係になることを目指しています」ということ。こちらの不安をいち早く察知し解消しようとする真摯な姿勢に、須長氏は好感を抱いた。

第三者に自社を評価してもらうのは、いい機会かもしれない。須長氏はMABPに財務評価を依頼する。そんな矢先、俵から譲受企業の紹介があった。M&A自体は先になるだろうけど、ひとまず自社のプロフィールくらいはつくっておこう、といったまだなにも煮詰まっていない状況だった。想像を上まわる急展開に動揺がなかったわけではない。ただ、何事も経験だと、須長氏は候補に挙がった三和ボーリング株式会社の代表取締役・湯川雅昭氏と面会することにした。
M&Aの決断
2021年3月に行われた第1回の面談は、予定時間を大幅にオーバーするほど盛り上がった。三和ボーリングは地質調査やボーリング工事を展開する企業だが、湯川氏は建設業界の出身ではない。そのため、自ら現場に出て泥臭く情報をすくい取りながら、会社の指揮をとっている。マネジメントにおいて重要な「虫の目・鳥の目・魚の目」を兼ね備え、それでいて謙虚で気さくな経営者だった。その人物像に、須長氏は次第に惹かれていく。もっと知りたい、もっとわかり合いたい、という気持ちが強まった。そして、わずか2週間後に第2回の面談が設定された。

グラウンドアンカーの職人会社として生き残っていくためには、進和基礎工業と三和ボーリングが一緒になって、それぞれの強みを伸ばす必要があるのではないか。このM&Aは、1+1が2ではなく、3にも4にもなる可能性を秘めている。面談を重ねるうちに、須長氏はそう確信するようになった。

M&Aの振り返りと展望激変する時代において、M&Aは有力な選択肢となる。

M&Aの振り返りと展望
進和基礎工業は東京都葛飾区に本社を置き、埼玉県吉川市に工事部を持つ。一方の三和ボーリングは富山県富山市に本社を置き、石川県金沢市と東京都千代田区に営業所を持つ。同業でありながらエリアが異なるため、取引先の共有による顧客基盤の拡大や、連携による施工能力のさらなる向上など、両者にとってメリットがあるのではないか、というのが2社を引き合わせた俵の狙いだった。

目先の売上・利益よりも、まずは顧客からの信頼。会社単位ではなく、業界全体として評価されるようにしたい。また、従業員に誇りを持って働いてもらいたい。生活を豊かにするためにも、処遇面の改善も図りたい。そんな数字では表せない、根底にある経営スタンスも合致していた。

ただ、契約は交わしたとはいえ、M&Aはまだまだ道なかば。業務の進め方や社内規定など、お互いの理解を深めているところだ。珍しいケースではあるが、須長氏は進和基礎工業の代表取締役の職を継続しつつ、三和ボーリングの取締役も兼務する。別の会社を見ること、あるいは外から自分の会社を見ることを通して、日々新しい知見を手に入れているという。

企業の平均寿命は30年だと言われている。そんななか、50年以上にわたって事業を継続してこられたのは、ある意味幸せなのかもしれない。ただ、ひとつの事業をずっと続けていると、世の中の流れについていけなくなってしまう場合もある。激変する時代においては、会社の引き継ぎ方も多種多様だ。外部から経営者を招聘すること、あるいはM&Aで別の会社と手を組むことは有力な選択肢であると、須長氏は改めて実感した。

もし同じような課題で悩む経営者仲間がいるのであれば、須長氏はこう伝えるだろう。「固定観念にとらわれずM&Aを考えてもいいんじゃないか。従業員を路頭に迷わせないためにも、まずは企業評価を受けてみてはどうだ」と。立ち止まってしまえば、リスクはより高まる。現状維持は衰退のはじまりなのだ。チャンスがあるなら前に進もう。そして、形態を変えながらも、進和基礎工業の成長と進化は続いていく。

お客様プロフィール

お客様プロフィール

進和基礎工業株式会社

代表取締役須長 正樹 氏

1969年、茂山勇治氏が管工事業を個人創業。1974年、法人化し、茂山勇治氏が代表取締役へ就任。1996年、須長和子氏が代表取締役に就任し2名体制に。2003年、茂山勇治氏と須長和子氏が辞任、須長正樹氏が代表取締役に就任。グラウンドアンカー工事および各種ボーリング工事の事業を展開。工事機器を自社保有し、設計から施工までワンストップで請け負う。資本金3,200万円。従業員17名。東京都葛飾区亀有5-19-5

M&Aストーリー

M&Aを実施する目的や背景は多岐にわたって存在するため、
ひとつとして同じ案件や事例は存在しません。

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