M&Aストーリー
M&Aを実施する目的や背景は多岐にわたって存在するため、
ひとつとして同じ案件や事例は存在しません。
M&Aストーリー
有限会社スージーパーカー
M&A成約事例
譲渡企業
有限会社スージーパーカー
代表取締役 荒井 三明氏 インタビュー
「よさこいの衣装を作り始めたところ、口コミで依頼が殺到しまして。今では100チームを超えるチームの衣装を手掛けているんですよ」と話すのは、有限会社スージーパーカーの創業者、荒井三明(あらい・みつあき)氏だ。
スージーパーカーは1988年3月に設立された、従業員数28名のアパレル工房である。
一風変わった社名は、1940年代に活躍したアメリカのモデル(Suzy Parker)にちなむ。
あらゆる衣装の企画から製造、販売まで一手に引き受けているスージーパーカー。
中でも有名なのは毎年初夏に札幌で開催される「YOSAKOIソーラン祭り」の衣装づくりで、1年のうち約8ヶ月はその製作に費やす。
他にも、プロバスケットチームのチアコスチュームやホテルの制服、東京ゲームショウやモーターショーの衣装など、幅広い制作実績を持つ。
北海道の東部エリアにある、標茶(しべちゃ)町出身の荒井氏は、父親が紳士服を仕立てる店を開いていたことから幼少期より洋服に触れる機会が多く、高校卒業後は洋裁学校に進学。
「卒業後は、恩師の紹介で東京の某アトリエに就職しました。そこで洋服の技術を5年ほど学ぶうちに、自分でマンションメーカー(小規模で製作するアパレルメーカー)を興そうと思い始めたんです」と荒井氏は懐かしそうに話す。
北海道に戻ると、札幌の洋裁学校で生徒に技術を教える傍ら、知人から仕事を紹介してもらい、さまざまな服の製作を始める。これが、スージーパーカー創業のきっかけとなった。
創業から10年ほどは、企業の制服をメインに製作していたが、需要減によって注文も段々と減っていく。
しかし同じ時期に、北海道医療大学のチームからYOSAKOIソーラン祭りの衣装製作を受けると、これが評判を呼び、東京や名古屋、京都、大阪など、全国の100を超えるチームから依頼が舞い込むようになった。
特に大都市圏では大学を中心によさこいの活動が活発で、1チームの人数も100人以上と規模が大きく、依頼される製作枚数は膨大だ。
1チーム分の衣装製作には、企画から納品まで実に半年ほどかかるという。
「衣装のデザインは、依頼チームの要望を丁寧にヒアリングしながら決めていきます。依頼先がデザインのイメージを持っていない場合は、よさこいの演技に使用する曲をもとに案を起こすなど、製作の手助けもしていますよ」と荒井氏は力説する。
浮き沈みはあったものの、スージーパーカーはこうして30数年もの道のりを歩んでいく。
「2017年ごろにM&A仲介のDMが届いて、どんなものなんだろうと思ったんですよ。それをきっかけにM&Aの勉強を始めました」と荒井氏は打ち明ける。
よさこいの衣装製作で引っ張りだことなり、ここ数年も増収増益が続き極めて好調な業績だったスージーパーカー。
そんな会社を創業から懸命に育ててきた荒井氏だったが、高齢に差し掛かったことから体力の限界を感じており、いつしか事業からの引退を考えるようになる。
M&Aの存在を知った後は、来たるべき時に備えて足しげく書店に通い、関連書籍をむさぼるように読破していった荒井氏。
2019年には、イベント衣装や有名アイドルなどの衣装を手掛ける会社からM&Aの話が舞い込むが、この時は残念ながら不調に終わった。
「そこで、もう3年ほどは自分でやっていこうと決意したんですよ。売上をたくさん作った後、会社を解散するつもりでした」と、荒井氏は当時を振り返る。
従業員にも「後を継がないか」と声をかけたが、手を挙げる人間はおらず、荒井氏も「1−2年ならある程度は経営できるだろうが、長いスパンで考えると覚悟がない人間ではダメだ」と感じていた。
そんな折、荒井氏はM&Aベストパートナーズ(以下MABP)のアドバイザー、石橋と出会う。
前回のM&A話から約4年が過ぎた、2023年9月のことだった。
「MABPさんから届いたDMに『私の会社に興味があるところがいくつかある』と書かれていたんですよ。その会社の名前を知りたくて連絡を取ったのがきっかけです」と荒井氏は明かす。
スージーパーカーの企業価値がどれくらいあるのかも、興味があったようだ。
連絡後、同月に面会を果たした石橋と荒井氏。
荒井氏は、面会時の石橋の印象について「彼は理路整然と話し、物事をはっきりと伝えてくれる方でしたね。常にポジティブで、クリアな思考を持っていると感じました。今までのM&A話で会った人たちとは、一線を画していると思いましたよ」と述懐している。
「石橋さんとは信頼関係を築けました。この人なら、自分が理想とする会社を紹介してくれると思ったんです」と微笑む荒井氏。
荒井氏はアドバイザーの石橋を、心から信頼していただいたようだ。
実際に、石橋と初めて会ってから約1ヶ月という異例のスピードで、荒井氏は相手企業とのTOP面談に応じている。
そして結果的に、この時に面談した1社だけでM&Aは成立した。
「お相手の会社からは会長さんと社長さんが来られていて、人間的に素直で魅力的な人だと感じました。石橋さんを信頼していましたから、不安はありませんでしたよ」と荒井氏は語る。
守秘義務があるため、奥さまと2人だけで相談しながらの交渉だったが、石橋のサポートもあってM&Aの諸手続きはスムーズに進み、翌年3月には無事に契約を交わした。
スージーパーカーの買い手企業となったのは、アパレルのOEMを中心に事業を展開する株式会社ラ・コロールだ。
大阪市中央区に本社を構え、代表取締役社長は殿本英希(とのもと・ひでき)氏が務める。
1978年の設立以来、ジャンルを問わずさまざまなアパレル商品を企画・製作してきたが、特にレディースニット製品を得意としており、年間生産数は41万着(うちニットは29万着)に及ぶ。
プライベート・エクイティ・ファンド(未上場の株式に投資するファンド)出身という、異色の経歴の持ち主である殿本氏の興味を惹いたのが、荒井氏率いるスージーパーカーだった。
なお、今回のM&Aに対して、スージーパーカーでは従業員からの反発は特に無かったそうだ。
荒井氏は、以前から従業員に「いずれはM&Aをする方向だ」と伝えており、契約を終えた3月には何の前触れもなく「新しい社長さんだよ」と皆に殿本氏を紹介している。
従業員は冷静に受け止め、新社長はその日のうちに一人ひとりとの面談に臨むことができた。
「会社から手が離れて、正直さみしさはありますね。ただ私も高齢なので、いずれは他人に移譲する必要がありますから」と荒井氏は前向きに話す。
まだ動けるうちにノウハウを継承していく必要がある中で、荒井氏は今回のM&Aがベストタイミングだったと感じているようだ。
スージーパーカーが手掛けるよさこいの衣装製作は、デザイン決めなど、チームとの打ち合わせで非常に時間がかかる。
今までは少人数で何とか対応してきたが、今後は新しい人たちに、積み上げてきたノウハウを受け継いでいかなければならない。
新社長の殿本氏もここが一番難しい部分だと認識しており、当面の間は荒井氏がバックアップしていく予定だ。
荒井氏はまた、若い人の育成にも力を入れる。
「わざわざ東京に行かなくても、スージーパーカーに何年間か勤めていれば技術を獲得できます。いつかはお店を持ちたいという意欲のある人を1人でも増やして、業界を活性化させたいですね」と気持ちを新たにする。
さらに荒井氏は今後、スージーパーカーではできなかったことにチャレンジする意向だ。
個人の活動として、都会の富裕層をターゲットに服のオーダーメイド販売を手掛けるとともに、独自に洋裁教室を作り、若く才能のある方に荒井氏ならではのノウハウを教えていくという。
その一方で、プライベートな時間を作ってゆっくりしたいという気持ちも持つ。
「今まで一生懸命に働いてきましたからね。これまでも夫婦で映画を観たり美術館を回ったりしていましたが、今後は東京まで足を伸ばして、歌舞伎見物に行きたいですね」と目を輝かせて話す荒井氏が印象的だった。
今回のM&Aをサポートしたアドバイザーの石橋は「荒井氏は得た利益を従業員にも還元したいという意欲が強く、経営数値もしっかり管理されていました。スージーパーカーは本当に優良な会社です。これまで荒井氏が大切にしてきた企業文化を、バトンタッチした殿本氏にしっかりと引き継いだ上でウィークポイントを補強すれば、さらに大きく成長できると感じています」と期待を寄せる。
その上で「荒井氏は講師経験から教育者としての一面もあり、人思いな社長さんでした。今後もアパレル業界に貢献したいという思いを非常に強く持たれていますので、我々も微力ながら応援したいですね」とエールを送った。
MABP一同も、荒井氏がいつまでもお元気で頑張っていただけることを心から願っている。
M&Aを実施する目的や背景は多岐にわたって存在するため、
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