“結果が出ない”は勝負どき!挑戦を楽しむ者へ
限界の、その先へ。箱根を追いかけた青春が刻んだ、覚悟と意志
学生時代はずっと陸上をやられていたそうですね。どんな毎日だったんですか?
長距離に打ち込んでいました。本当に「走るために生きていた」ような生活でした。朝4時半に起きて掃除をして、5時半から朝練。夜10時に消灯のため、9時半には寝る。休みは、箱根駅伝が終わった翌日とその次の日だけ。年間363日はトレーニング中心でしたね。
当時は滋賀から上京していて、「絶対に箱根駅伝を走る」と心に決めていました。明確な目標を持ち、そのためにすべてを捧げるという経験をしたのは、このときが初めてでした。
同期は15〜16人いましたが、卒業時に残ったのは7〜8人。途中で怪我をしたり、心が折れたりする仲間も多かったですね。しかし私は、「やると決めたからにはやりきる」と自分に言い聞かせていました。
その厳しい生活の中で、学んだことや得たものはありますか?
やはり「明確な目標を持ち、強い意志で継続すること」。これは人生のすべてに通じると思っています。ただ目標を立てるだけではなく、「達成するまで絶対に諦めない」という姿勢。それを学生時代に体で覚えました。今でもあのときの気持ち──「明確なゴールを深層心理にまで刻み込む」感覚を大事にしています。「寝ても覚めても箱根を走ることだけを考える」。そのくらい自分を追い込んでいたからこそ、社会に出てからも、ぶれずに目標に向かえていると思います。
そうした過酷な環境の中、挫折しそうになった瞬間はありましたか?
もちろん何度もありました。怪我も多くて、思うように走れない時期が長かったんです。「もうダメかもしれない」と思うことなんて日常茶飯事です。でも、悪いときほど人は成長できる。「なぜうまくいかないのか」を本気で考えるのは、順調なときではなく、苦しいときなんですよね。私はいつも「挫折を挫折と思わないようにしよう」と意識していました。結果が出ない時期こそ、自分の成長のチャンスなんです。その考え方は今でも変わりません。
看板より、自分の力で勝負する──丸三証券で学んだ「本物の営業力」

大学卒業後は、どんな就職活動をされていたんですか?
正直、最初はかなり苦労しました。スポーツメーカー、銀行……受けた企業は、軒並み不合格。でも今振り返ると、それで良かったと思っています。面接を受けるたびに、「自分の性格と企業文化が合っていない」と痛感していたんです。焦りもありましたが、落ち込んでいても結果は変わらない。だからこそ冷静に自分を見つめ直しました。「自分はどんな環境で、どういうときに力を発揮できる人間なのか」。それを客観的に理解できたのは、間違いなくこの時期の収穫です。
その経験を経て、丸三証券を選んだ理由は何ですか?
就職活動を通じて自己分析を徹底していた結果、「自分がモチベーション高くいられるのは、成果が目に見える仕事だ」と気づきました。逆に成果が曖昧な仕事では力を発揮できないタイプだと理解したんです。
大手証券も選択肢にはありましたが、あえて中堅の丸三証券を選んだのは、自分の力を試したかったから。商品やブランドに頼らず、自分自身の力で勝負できる環境に惹かれました。「自由裁量が大きい会社で結果を出す方が、自分の成長につながる」と考えたんです。
入社後は、どんな経験を積まれましたか?
まず「一番厳しい支店でやらせてください」と人事にお願いして、日本橋本店に配属されました。最初の1か月半は研修。その後、葛飾エリアの担当となり、毎日飛び込み営業。朝から晩まで外回りを続けました。その結果、1年目で営業成績トップを取り、新設された日吉支店に抜擢されても、トップの座は守り続けました。
ただそれ以上に得たものは、「営業は努力の総量でしかない」という確信です。どんなにセンスがあっても、行動量には勝てない──それを、身をもって学びました。
「売る」だけじゃない──営業の最高峰で磨いた思考法
その後、丸三証券からM&Aキャピタルパートナーズに転職されたきっかけは?
丸三証券でM&AキャピタルのIPO案件を扱ったのがきっかけです。株の販売を担当して、その会社の事業内容を徹底的に調べたんです。そこで「M&A業界は、絶対伸びる」と確信しました。
当時、M&A仲介会社の上場は3社しかなく、経営者の高齢化も進んでいました。「これは社会的にも需要が爆発する」、まさにこれから「黄金時代」が来るなと直感しました。
かつM&Aは営業の最高峰です。株や商品を売るのではなく、「会社」という人生そのものを預かる仕事。間違いが許されない分、信頼の重さも段違いで、人としての器が問われる世界だと感じました。
実際に入社してみて、ギャップはありましたか?
予想以上に厳しかったです。24歳で転職して、ちょうど結婚した年でもありました。若さと責任が同時にのしかかる中で、最初の1年は本当に壁だらけでした。当時の私は「社長は、若い自分を信用してくれない」と思い込み、どこかで上司に頼っていました。しかしなかなか、結果が出ません。
ある日、上司に呼ばれ、こう言われたんです。「君は多責だ。自分で責任を取らない限り、絶対に成功しない」と。その言葉が胸に刺さりました。1年ほど反発していましたが、結果が出ず限界を感じたとき、「結局、原因は自分にある」と気づきました。
そして、「他責」から「自責」に切り替えた途端、成果が出始めたんです。この経験は、私の人生の大きなターニングポイントですね。
挫折も糧に──準備期間が磨いた組織の強さ

M&Aキャピタルパートナーズから独立し、M&Aベストパートナーズを創業された経緯を教えてください。
2018年に、M&Aキャピタルパートナーズを退職し、同年11月に齋藤と一緒に創業しました。実は、その1年ほど前から、彼と「ビジネスアイデアを出す会」を定期的にやっていて、「本気で会社をつくるなら、俺たちがやった方がいいよね」と意気投合したんです。
私自身、将来的に経営者になるという目標をずっと持っていました。当時から、投資業を中心にグループ化していく構想も頭の中にあり、「まずはM&Aから始めよう」と考えていました。
斎藤は私とは、正反対のタイプ。私は直感と行動力を持つ一方で、彼は分析と構想力に優れています。お互いの欠点を補完し合える理想の関係だったので、創業への迷いはありませんでした。
立ち上げ当初はどんな苦労がありましたか?
もっとスピード感を持って成長できると思っていましたが、正直、うまくいかない時期もありました。
でも、今振り返るとそれがかえって良かったんです。「考える時間」があったことで、組織の質を高めることができました。経営って、結局はメンタルゲームなんです。うまくいかない時期をどう楽しめるかで、次の一手が大きく変わります。
覚悟ある挑戦者と共に、日本一の経営者を輩出する

部下と接するうえで、最も大切にしていることは何ですか?
「愛情を持って接すること」です。全員と平等に接するために、一定の距離は取りますが、心の中では全員に「結果を出させたい」という強い思いがあります。答えは教えず、自分で考えてもらう。「魚を与えるのではなく、釣り方を教える」そうした考えを意識しています。
仕事に向かうモチベーションの源はありますか?
楽しいからやっている、ただそれだけなんです。日曜の夜にワクワクできない仕事なら、やめた方がいいと思っています。私は毎週、日曜の夜にワクワクしています(笑)。「明日からまた会社だ!楽しみだな」と思えるんです。経営者は会社と一心同体。自分の努力や意思が、会社の未来そのものを変えるーこんなにワクワクする仕事は、他にはありません。
今後の展望を教えてください。
「日本一、経営者を輩出する企業になる」──これが私たちのミッションです。
そのなかで、アドバイザーには3つの約束をしています。
・日本一稼げる環境
・成長できる環境
・独立できる環境
この3つを実現することが私の責任です。まずは業界トップの生産性を誇る組織をつくり、売上100億を目指します。
そのために我々が求めるのは、覚悟のある人です。M&A業界は厳しいですが、その分、成功すれば「経営者」になれます。営業を極めたい人、もっと高みを目指したい人にとって、最高の舞台です。未経験者でも、先入観なく素直に吸収できる人はぐんと伸びます。経験者よりも成長スピードは早く、努力次第で大きく飛躍できます。挑戦する覚悟さえあれば、私たちは全力で成長の場を提供します。共に、日本一の経営者を輩出する未来を創りましょう。
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