M&Aストーリー

合資会社真栄田組
M&A成約事例

お互いが独立性を保ちつつも、メリットを享受できる関係性の構築。

M&Aに至る背景先代が急死して後を継ぐが、経営環境は年々厳しさを増す

M&Aに至る背景
沖縄県名護市で、仮設足場工事を中心に建築工事や土木工事などを請け負う合資会社真栄田組。
創業者である現代表の祖父、眞榮田義健氏が昭和32年1月より土木工事に従事したのがルーツで、合資会社となってから32期目、設立からは実に55年もの歴史を持つ地場の老舗企業だ。
創業より那覇空港ターミナル(旧国内線第2ターミナルビル)や、沖縄国際海洋博覧会で建てられた三菱海洋未来館の工事などに参加してきたが、徐々に足場鳶へ事業の軸足を移していき、平成4年1月には法人化して現社名を名乗るようになる。
現代表社員の眞榮田義卓氏が3代目として就任した後も、名護市優秀建設業者として表彰を受けるなど、地域の発展に長年貢献してきた。

現代表社員の眞榮田義卓氏は、1978年生まれの44歳。
工業系の専門学校を卒業後、県内にある他の建設会社に就職し、3年間ほど見習いとして修行する。
その後、父親の眞榮田義和氏が2代目代表社員として経営する合資会社真栄田組に入社。
現場作業員(鳶工)として従事し、入社10年には現場代理人を務めるなど着実に実績を積む。
そんな矢先、義和氏が病気で急死してしまい、平成25年1月に義卓氏が急遽経営を引き継ぐこととなった。

現在も沖縄県全域を事業エリアとし、名護地域における地場No.1の足場工事会社として、足場の組立、土工事、コンクリート工事、くい工事、鉄骨の組立て、工作物等の解体などに従事している。
沖縄本島の中部にある名護市に本店、宜野座村に支店を構えるが、声がかかれば離島にも赴く。
従業員は30名で、「お客様を第一に考え工事の安心・安全を確約し、品質の良い足場を提供します」を経営理念として掲げる。

足場工事のほか年に1回ほどは建築工事もあり、Bランクの公共工事も手掛けてきたが、ここ10年ほどで沖縄県内における公共工事の予算は減少の一途をたどってきた。
その影響で会社の経営は厳しさを増しており、義卓氏は生き残りをかけてM&Aを模索するようになる。

M&Aの決断100%の株式譲渡を覚悟するが、自主性のある業務提携に

M&Aの決断
義卓氏は以前から交渉先として、県内でもトップクラスの会社として名を馳せる、鉢嶺総合仮設株式会社を想定していた。
鉢嶺総合仮設は昭和58年に設立され、那覇市の南にある八重瀬町に本拠を置き、仮設材リース業を生業とする地場企業だ。
同社とは直接的な取引はなかったものの、これまでにも現場の材料が足りなくなった時に貸してもらうなどの付き合いはあった。
義卓氏が、鉢嶺総合仮設の代表である名嘉真知秀氏と初めて会ったきっかけも材料を借りる時で、連絡を入れると社長室まで招かれ、1時間ほど雑談をしたという。
その際の印象として、義卓氏は「とても気さくで懐の深い方だ」と感じたそうだ。

そんな鉢嶺総合仮設との提携話は、弊社M&Aベストパートナーズのアドバイザー、甲斐田の提案から始まった。
甲斐田の印象として、義卓氏は「正直に申し上げると、最初はかなり警戒していた」という。
やはりどの会社も、特に「M&Aの提案」をするような会社の人間には疑いの目を向けるものだ。
しかし、名護で会ってお酒を一緒に飲むなどする中で、少しずつ信頼関係を築いていく。
義卓氏は「甲斐田さんは初めから最後まで誠実な方だった。ただ、M&Aを行う会社の看板がついているということで、初めは疑いの目で見ていたのは事実」と話す。
義卓氏は、人と会う際は必ず一緒にお酒を飲んで、人となりを確かめるようにしているという。
甲斐田は祖母が沖縄出身ということもあって親しみも生まれ、何度も会う中で打ち解けていった。

提携に向け、弊社と初めて打ち合わせた日は令和4年6月7日。
その後は事務折衝を重ねた末、同年10月5日にはTOP同士の面会が実現する。
そして翌年の6月2日、M&Aではなく提携という形で決着し、約1年間の交渉を終えた。

提携内容を詰めている間は、やはり不安もあったようだ。
義卓氏としては前向きに提携を検討してものの、M&Aとなると会社全体が他社に持っていかれる可能性がある。
特に奥様が非常に警戒しており、義卓氏も同様に「会社が良くなればと思っている一方で、その比率によっては全てを失う可能性もあるため、交渉内容については心配していた」と話す。

実際に義卓氏が提携に際して最も重要視していたのは、株の比率、すなわち自主性だ。
義卓氏は100%の株式譲渡も覚悟して交渉に臨んでいたが、弊社M&Aベストパートナーズが両社の間を取り持ち話し合った結果、株式譲渡が35%に留まる「業務提携」として話がまとまる。
最終的には真栄田組の自主性を守られた上で、親和性もあってお互いにメリットが出るような提携が実現した。

義卓氏は「長きに渡り交渉を進めてきたが、最初に彼らと会った時点である程度のことは受け入れ、前向きにやっていこうという気持ちがあった。そして、相手が鉢嶺さんだからこそ、この提携を進めることができた。もし全く知らない会社だったら、そもそも話を受けなかったと思う」と述懐する。
一方で、相手が馴染みのある鉢嶺総合仮設とはいえ、こちらが不利となる内容であれば提携を断る覚悟もあったようだ。

弊社のM&Aアドバイザー甲斐田については「こちらの言い分に耳を傾けつつ、双方の意向や落としどころなどを懸命にすり合わせしていただいた」と振り返る。
先方としても初めての話でお互いに手探りでの交渉だったが、実に理想的な形で決着した。

提携に際しては、社内で「これからどうなるの?」という不安の声が挙がった。
義卓氏は、従業員への説明がまだ不十分だったと痛感しているようで「これから時間をかけて説いていくつもり」と話す。
しかし今回は買収ではなく、あくまでも提携であるため、義卓氏は「お互いが独立性を保ちつつ、メリットを享受できるような形になった」と自負している。

M&Aの振り返りと展望義卓氏が提携後に感じた「スケールメリット」

M&Aの振り返りと展望
鉢嶺総合仮設との業務提携により実感しているメリットとして、義卓氏は「後ろ盾として頼れる存在がいる安心感と、在庫管理の強化だ」と話す。
真栄田組の在庫には限りがあるが、提携によって資材の数が強化されたため、ある程度強く営業することが可能となった。
資材自体も、真栄田組のものと比較すると整備が行き届いており、作業現場や営業において自社の強みとなっている。

現在、名護に大きなテーマパークができる話が進んでいるが、話があった当時は資材も限られており、積極的に参入できなかった。
義卓氏は「1〜2年前にでも提携が実現できていれば、我々も資材業者として請け負えた可能性がある」と悔やむ。
しかし現在では、大手ゼネコンの担当者と会う機会も増えており、在庫の強化もあって請け負える工事も増えてくるのではないかと期待する。
質の良い資材も使えるため単価も勝負できるようになり、収益も改善しつつある。

提携によって業績が回復すれば、今まで不可能だったことが色々とできるようになる。
沖縄は、公共事業こそ落ち込んでいるものの観光業は徐々に戻りつつあり、建設需要のポテンシャルは依然として高い。
義卓氏は「今後は仮設業ではなく、建設業として事業を進めていきたい」と意気込む。

提携が具体的にまとまった時、義卓氏は心の底から安堵したようだ。
一方で、今後は鉢峰総合仮設との絆を深め、信頼を裏切らないよう邁進していきたいと、気持ちを新たにしている。

なお、沖縄は60代、70代の経営者が多く、全国の中でも特に後継者問題が深刻だ。
会社が長年やってきたにもかかわらず、後継者がおらず閉じてしまう例もある。
そこで働いていた社員は、次にどこで働くのかを考えなければならない。
それについて義卓氏に尋ねると「今後は組織を強化していき、もし後継者がいない会社があれば、提携を考えてみたいと思う」と、今度は同業者の救済を通じて、さらなる事業拡大を睨んでいるようだ。
そして、弊社M&Aベストパートナーズに対しては「提携後もちょくちょく相談に乗って欲しい」と期待を寄せる。
我々としてもその信頼に応えつつ、同社の今後の発展を応援させていただきたい。

担当アドバイザー

担当アドバイザー

誰にも負けない『情熱』で、
『感動』を創出する。
課長甲斐田 健
得意業種
建設 不動産
資格
  • 事業承継・M&Aエキスパート
  • M&Aストーリー

    M&Aを実施する目的や背景は多岐にわたって存在するため、
    ひとつとして同じ案件や事例は存在しません。

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