M&Aストーリー
M&Aを実施する目的や背景は多岐にわたって存在するため、
ひとつとして同じ案件や事例は存在しません。
M&Aストーリー
医療法人清水桜が丘病院
M&A成約事例
譲渡企業
医療法人清水桜が丘病院
理事長兼院長 清水 惠子氏 インタビュー
医療法人清水桜が丘病院は、北海道東部の太平洋沿岸にある釧路で50年以上、診療を続けてきた精神科の単科病院だ。
以前はデイケアセンターやグループホームも併設していたが、令和4年末に事業の再構築で閉鎖、現在は精神科に専念しており、さらに、令和5年7月からは麻酔科もできる精神科として再出発し、ベッド数は地域最大の162床を誇っている。
病院は先代の理事長である、精神科医の清水幸彦氏(故人)が昭和39年に開設し、長年に渡り辣腕を振るってきたが、10年前に長男で同じく精神科医の清水輝彦氏が継ぎ、直近まで院長として活躍、地域の信頼を得ていた。そして、現在は輝彦氏のご夫人である清水惠子氏が理事長兼院長を務めている。
惠子氏は、ご主人の輝彦氏と同じ精神科医で、他にも麻酔科医資格を持っているそうだ。
茨城県出身の惠子氏は自宅から通える医科大学に進学し、そこで先輩だった輝彦氏と知り合い、猫好きという共通点もあり、これが縁で2人は後に結婚することとなったのだという。
医大では、輝彦氏の勧めもあって精神科に入局したため、惠子氏はそのまま精神科医となったが、10年後、暴れる患者を寝かしつけて診察するという精神科で最もハードな診療をこなすまでになったところで、研修医時代から性に合っていると感じていた麻酔科に転向したのだ。
そして、周囲の猛反対をよそに、2年で麻酔科標榜医、さらに試験を経て麻酔科専門医を取得すると、研修医制度が始まり人手不足になった三次救命救急センターに出向した。
惠子氏は「ここで一生分の交通外傷の患者を診て、自分で車の運転をすることは止めようと思ったんですよ」と当時を回想しながら話した。
その後、一足先に帰郷していた輝彦氏がいる釧路に移住したのである。
娘が生まれ釧路での子育てを決めると、市立病院に麻酔科の嘱託医として勤務した。
その際、「当直医問題をクリアするために清水桜が丘病院の敷地内に二世帯住宅を建設して、4年前からは輝彦氏の父である幸彦氏が悪性腫瘍を患い診察できなくなったことから、当院の手伝いを始めたのよ」と惠子氏は語った。
また、院内では、患者負担は少ない一方で麻酔科医が必須である修正型電気痙攣療法(mECT)」に着目し、精神保健指定医と麻酔科標榜医という専門性のある資格を2種類持つ惠子氏ならではの取り組みもスタートさせた。
惠子氏が加わった清水桜が丘病院だったが、あくまでも輝彦氏が院長として表に出ており、惠子氏は開業志向もなく、子育てをしながら後方支援に徹していたのだが、令和5年5月1日、惠子氏の人生が大きく変わる出来事が起こった。
この日、ご主人で院長でもある清水輝彦氏が、脳梗塞で倒れてしまったのだ。
さらに同年6月5日には、理事長で創立者でもある父親の幸彦氏が他界してしまう。
幸い輝彦氏は命を取り留めたものの、医師としての復帰は難しい病状であり、病院には120人の入院患者が残されていた。
この危機に惠子氏は、医師免許を持つ人間としての責任を果たすべく、病院の運営に参画することを決意した。
また、事務長の清水英敏氏から経営状況を聞く中で、輝彦氏が4月からM&Aの話を進めていたことを初めて知ったのである。
そこから3ヶ月間、スタッフは惠子氏が動きやすいように努めてくれて、惠子氏も皆の協力を仰ぎながら懸命に働いたが、やはり1人では無理だと痛感し、今後のことを考えると明らかに人手が足りず、限界を感じていた。
さらに、「精神科医療機関としての将来的な不安もあったのよ」と惠子氏は話した。
惠子氏が関東時代、勉強がてら当直医として回っていた数々の精神科病院に改めて目を向けると、2代目が規模を拡大して3代目が活躍し始めた病院と、2代目が耐えられず小さくするか閉じてしまった病院とで二極化していたのだそう。
かつて国は、精神科患者の入院を促進する政策を取っていたが、その後方針転換を行い、現在では退院を促すため、病床の大幅な削減を進めているのだという。
この流れは今後も大きく変わらず、これからもベッド数は削られていくため、3代目がいるところも将来的には経営が厳しくなるだろうと感じていたのだ。
惠子氏は「向き不向きや能力の差もある。一族で病院を経営するのは限界だ。周囲を見渡しても『もうそんな時代じゃない』と強く思った。2人で幾度となくこういった話をしたが、主人は先代が用意した椅子に座ることだけしか考えていないようだった」と打ち明けた。
そして惠子氏は、経営や医療に適した人材を確保するため、様々な選択肢がある中であえてM&Aを選択したのである。
輝彦氏が病に倒れてから19日後、弊社M&Aベストパートナーズ(以下MABP)は改めて惠子氏からM&Aの依頼を受けた。
元々MABPは、輝彦氏が倒れる前から相談を受けており、担当アドバイザーには、ヘルスケア分野に強い永沢がついた。
永沢は、M&Aの引受先として道内の法人に打診、早速6月2日にTOP同士の面談を組んだ。
面談には惠子氏をはじめ、事務長の清水英敏氏、そして病院の監査役を務める税理士の栗原氏の3名で臨み、先方からも3名が出席して、終始和やかな雰囲気で終えることができたが、面談を通じて永沢は「双方が微妙にハマっていない」と感じていたのだ。
面談後、清水桜が丘病院側に「他のところともお話をしてみませんか」と提案すると、惠子氏らも永沢の提案に応じた。
改めて永沢は、別の法人とのTOP同士の面談を同月25日にセッティングした。
それが、今回のお相手となる株式会社ミライシアホールディング(以下ミライシア)だったのだ。
ミライシアは、北海道・東北エリアを中心に薬局や保育所を展開する企業グループで、札幌市内に本社を構え、代表取締役は神山武士氏が務めている。
一連の流れについて永沢は「面談を重ねる中で、清水桜が丘病院の皆さんのご要望や意向、考え方が徐々に理解できるようになり、2件目に紹介したミライシアの方がマッチするかもしれないと思うようになった」と述懐した。
そんな永沢の印象として、税理士の栗原氏は「M&Aというと、当事者を置き去りにしたまま前例をもとに話が進むといったイメージを持っていたが、そんなことは全然なかった」と当時を振り返った。
また、「永沢さんには現状をじっくりと聞いてもらった上で、ゆっくりと考えながら判断できるようご配慮いただき、決して急かされることはなく、こちらの事情をよく考えてくれていたように感じていました」とも語った。
現場の医師でもある惠子氏も、「出身大学や医局、病院の系列など、気になるところがある中で、いろいろ熟慮して紹介先を決めてくれたのが非常にありがたかった」と当時のことを話した。
清水英敏氏も「M&Aは初めてで、不利な条件が出ないかととても警戒していた」と当時の正直な気持ちを打ち明けつつも、「永沢さんはこちらを尊重してくれる形で話を進めてもらえたし、一方的に条件を突きつけられることもなく、とにかくしっかり話を聞いてくれる、信頼できる人だった。こちらの要望にも快く応じてもらい、2社目に紹介されたところは当院とジャストフィット!人脈も豊富でとても助かった」と称賛を惜しまなかった。
惠子氏も「M&Aは人との相性がとても重要だが、永沢さんにはそれを見抜く能力がある」と感心しきりだった。
「1社目に紹介してもらったご三方も、印象はとてもよかった。しかし、輝彦氏とはとても相性がいいように見える一方で、残念ながら私には合いそうにもない感触だった。2社目のミライシアさんは私との相性が抜群で、理事に就任した方とは早速某SNSでお友だちになった」と、その選球眼を絶賛している。
その後もミライシアとの交渉はスムーズに進み、7月21日、清水桜が丘病院の経営権をミライシア代表である神山氏に譲渡するという内容で、無事に契約を終えた。
交渉を終えた惠子氏は、資材面や人材面でミライシアに期待を寄せている。
資材面では「当院は単科の精神科という特殊な環境で高齢化した入院患者も多く、特に薬品の流通が難しい。例えば心臓病の薬を手配しても1剤だけでは購入できず、逆にロット買いすると余ってしまう。今はミライシアの流通網を使え、少量の薬でも上手く回してもらえるのでありがたい」とM&Aの手応えを感じているようだ。
人材面についても「釧路は日高山脈に阻まれて、札幌から情報が入ってこない。今はミライシアの人たちが札幌から来てくれるようになり、釧路にはいない人材からいろいろと勉強させてもらっている」とした上で、「逆に、私たちが持つ精神科看護はレベルが高いと自負している一面もある。看護の基本は精神科だが、電子化が進んでそれらが置き去りになっているとも感じている。得意分野を活かしながら、先方とWin-Winの関係を築いていきたい」と、今後の展望を語った。
監査役である(税理士)栗原氏は「私は理事会でどうこう言える立場ではないが、経理上の収支を見る限りは厳しかった。例えば、将来的なことを考えると常勤医の確保は喫緊の課題だが、人脈もなく、報酬財源の確保も必要になるなど、数年前まではさまざまな問題に対して解決が進まない状況だった。今年は決算後、やっと輝彦氏がM&Aに向けて動き出したが、輝彦氏に不測の事態があり、想定通り進めることができなかった。しかしM&Aも無事に終わり惠子氏も病院に加わり、先行きが明るく見えるようになった」と、安堵の表情を浮かべながら話した。
清水英敏氏も「医者や薬の調達といった問題も目に見えて変わっていくのが分かり、M&Aの成果がすぐに現れた。また、ミライシア側はいろんなことを精力的に提案してくれる。強引な押しつけではないので、こちらの対応もスムーズだ」と、相手との関係が良好であることも教えてくれた。
M&Aが無事に成立し、惠子氏は「10年先を見据えて経営方針を立てたが、それ以降のことを考えられるのは一回り若い人たちであり、MABPさんは最も適した人材を紹介してくれた。釧路は医局制度が崩壊しており、麻酔科医が居ない。ミライシアの力を借りて、今後も我々が地域診療を守っていきたい」と、決意を新たにした。
地域医療の崩壊を食い止めたいと、奮闘を続ける清水桜が丘病院の面々。
我々MABPも引き続き、今後の推移を見守っていきたい。
M&Aを実施する目的や背景は多岐にわたって存在するため、
ひとつとして同じ案件や事例は存在しません。
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