靴職人・花田優一が歩んだ10年と新ブランド「Mr.HANADA」に込めた覚悟
株式会社こぶたか
靴職人 花田優一氏
アスリート家系から国境なき職人の世界へ
アスリートの家系に育ちながら、なぜ「職人」の道を選んだのでしょうか?
もともとはプロのバスケットボール選手を目指してアメリカの高校に進学しましたが、プロとして生きていくことへの限界を感じ「自分の腕一本で成り上がれる」職業に就きたいと考えるようになりました。
私の家系は父も祖父も若くして名声を手に入れた力士でしたが、私は「国境のない職人」として世界で勝負したいと考えました。世界中で通用する「靴」というジャンルを、16歳当時の自分はまだまだ未熟者でしたが戦略的に選んだ選択でした。
私の家系は父も祖父も若くして名声を手に入れた力士でしたが、私は「国境のない職人」として世界で勝負したいと考えました。世界中で通用する「靴」というジャンルを、16歳当時の自分はまだまだ未熟者でしたが戦略的に選んだ選択でした。
修業のためにイタリアへ渡る際、お父様からは厳しい条件を出されたそうですね。
父からは「職人は自分で教科書を作る商売だ。誰かの教科書に沿って生きる学校の学問ですら一番を取れない奴に職人が務まるわけがない」と言われました。
そこで「学校でトップ10に入れば辞めていい」という約束を取り付け、猛勉強の末にそれを達成し、卒業を待たずに高校を退学してイタリアへ渡りました。
そこで「学校でトップ10に入れば辞めていい」という約束を取り付け、猛勉強の末にそれを達成し、卒業を待たずに高校を退学してイタリアへ渡りました。
本場イタリア・フィレンツェでの修業の全貌
18歳でイタリアへ渡った際、言葉の壁や環境の変化にどう立ち向かったのですか?
実は「ボンジョルノ!」の一本勝負でイタリアに乗り込みました(笑)幸いイタリア語はローマ字読みが基本なので日本人には発音がしやすく、読み書きの苦労は少なかったです。アメリカ留学で根性はついていましたし「友達を作るつもりはない、師匠の言葉さえ分かればいい」と割り切り、まずは専門用語を徹底的に叩き込むことから始めました。
実情として18歳の若者が現地で働くにはビザの関係で学校に所属する必要がありましたが、実態は「工房での徒弟制度」そのものでした。カリキュラムも教科書もない世界で朝から晩まで師匠の傍らで技術を吸収する日々が始まりました。
実情として18歳の若者が現地で働くにはビザの関係で学校に所属する必要がありましたが、実態は「工房での徒弟制度」そのものでした。カリキュラムも教科書もない世界で朝から晩まで師匠の傍らで技術を吸収する日々が始まりました。
修業時代の師匠はどのような方だったのでしょうか?
私の師匠は特定のブランドに属する職人ではなく、あらゆるブランドの工場を立て直し、整えては去っていく「渡り職人」でした。そのため、スニーカーから登山靴、パンプスまであらゆる靴の構造を熟知している稀有な存在でした。
鉛筆の削り方が甘いだけで怒鳴られる日々でしたが、厳しく指導していただけることが嬉しくて食らいついていきました。
鉛筆の削り方が甘いだけで怒鳴られる日々でしたが、厳しく指導していただけることが嬉しくて食らいついていきました。
「技は盗むもの」という世界で具体的にどのように技術を習得していったのですか?
技術を盗むには最低限の知識が必要だと痛感し、まずは靴の造形を覚えることに心血を注ぎました。靴図鑑のようなものを買ってきて、毎日工房から帰ってきた夜に10枚、靴の絵を模写し続けることを2~3年続けました。これにより、いまではどんな靴の絵でも一瞬で描けるようになり私の大きな財産となっています。
また、父からの「職人は自分で教科書を作る商売だ」という言葉を実践するため、毎日帰宅後に「その日に師匠から言われたこと」を日本語に落とし込み、独自の教科書を作り上げました。
一度聞いたことを二度聞くことは許されない世界。この時に作った独自の教科書こそが、いまでも私の技術を支えていると思います。
また、父からの「職人は自分で教科書を作る商売だ」という言葉を実践するため、毎日帰宅後に「その日に師匠から言われたこと」を日本語に落とし込み、独自の教科書を作り上げました。
一度聞いたことを二度聞くことは許されない世界。この時に作った独自の教科書こそが、いまでも私の技術を支えていると思います。
その時代に学んだことで、いまも大切にしている「教え」はありますか?
技術が向上してくると職人はつい高価な道具を欲しがるものですが、師匠からは「良い職人は道具を選ばない。高い道具を使わないと良い靴が作れないような職人になるな」と教えられました。
実際に師匠は、2000円もしないような安価な道具で驚くほど格好いい靴を作ってみせる人でした。その教えもあって、師匠が最初に買い与えてくれた1500円ほどの道具を私は独立した今でも研ぎ直しながら使い続けています。
道具の良し悪しではなく自分の腕で戦う。その心得はイタリアにいる師匠のもとで刻まれたものです。
実際に師匠は、2000円もしないような安価な道具で驚くほど格好いい靴を作ってみせる人でした。その教えもあって、師匠が最初に買い与えてくれた1500円ほどの道具を私は独立した今でも研ぎ直しながら使い続けています。
道具の良し悪しではなく自分の腕で戦う。その心得はイタリアにいる師匠のもとで刻まれたものです。
約3年の修業後、なぜ独立を決意できたのでしょうか?
最初から「3、4年で独立する」と決めて逆算して動いていたからです。特定のブランドで長く修業すると、そのブランドの「色」や「売れ筋」に染まってしまい全部の靴が作れるようにはなれないというデメリットもあります。私は師匠のようにあらゆる構造に対応できる職人になりたかったので、あえてどこかのブランドの模倣はせず最初から自分のデザインを貫きました。
また、独立資金も修業時代に準備していました。イタリアから日本に一時帰国するわずか2週間の休暇を使い、銀座や表参道で自作のトートバッグのポップアップショップを開いていました。そこで自分のデザインの市場性を確かめながら数百万円の資金を貯め、22歳で自分の工房を構えることができました。
また、独立資金も修業時代に準備していました。イタリアから日本に一時帰国するわずか2週間の休暇を使い、銀座や表参道で自作のトートバッグのポップアップショップを開いていました。そこで自分のデザインの市場性を確かめながら数百万円の資金を貯め、22歳で自分の工房を構えることができました。
孤高の靴作り フルオーダーメイドへのこだわり
花田さんが手掛ける「フルオーダーメイド」の特徴は何でしょうか?
まずは、一人ひとりのお客さまのために木型を削り出すことです。現代ではプラスチック製の型を使う人も多いですが、私は加工のしやすさと木のぬくもりを大切にしています。
木型は「靴屋の財産」であり、ゼロからこれを作るフルオーダーは既製の型を調整するセミオーダーよりも格段に難易度が高い仕事です。
木型は「靴屋の財産」であり、ゼロからこれを作るフルオーダーは既製の型を調整するセミオーダーよりも格段に難易度が高い仕事です。
足の靴が完成するまでには、どのような工程があるのですか?
本当に細かく分けると200~250もの工程があります。例えば、革と革を重ねる際に段差が出ないようナイフで革の端を斜めに削って0ミリにする「漉き」という作業や、平面の革を木型に合わせて立体的にし型を抜いた後もその形を形状記憶させる「吊り込み」の技術など、非常に繊細な手作業の連続です。
それら全ての工程をお一人で担当されているのですね。
本来は分業制が一般的ですが、私の場合は木型製作から仕上げまで一貫して自分で行っています。糸をよるところから始め、すべて手縫いで仕上げるため、1か月に製作できるのはわずか5足ほどです。
節目を迎え、新たな挑戦へ。既製靴ブランド「Mr.HANADA」の始動
フルオーダーメイドを追求してきた花田さんが、なぜ「既製靴」に着手したのでしょうか?
一番大きなきっかけは、私の妹がファストファッションの可愛い黒のショートブーツを履いていたときに、靴の構造的に姿勢が悪くなり体を壊してしまうものだと私が注意したところ、「だったら、にーにが作ってよ」と言い返されたことです。
オーダーメイドはお客様と一対一の密な関係を築けますが、どうしても拡散力に欠け値段も高くなってしまいます。「いい靴を履きたいけれど手が届かない」という方々のために間口を広くし、オーダーメイドの知見を詰め込んだ機能性もデザイン性も両立した靴を届けたいと考えました。
これまでの10年間は「自分が作りたいもの」を追求する期間でしたが、これからは「人が求めているものに自分のオリジナリティを込める」フェーズにキャリアを変えようと決心し、既製靴ブランドの立ち上げに至りました。
オーダーメイドはお客様と一対一の密な関係を築けますが、どうしても拡散力に欠け値段も高くなってしまいます。「いい靴を履きたいけれど手が届かない」という方々のために間口を広くし、オーダーメイドの知見を詰め込んだ機能性もデザイン性も両立した靴を届けたいと考えました。
これまでの10年間は「自分が作りたいもの」を追求する期間でしたが、これからは「人が求めているものに自分のオリジナリティを込める」フェーズにキャリアを変えようと決心し、既製靴ブランドの立ち上げに至りました。
「Mr.HANADA」のデザインや機能面でのこだわりを教えてください。
デザインはあえて「王道」を目指しましたが、中身は私が培った技術を凝縮しています。まず、靴の木型は私が自分で削り出したものを参考にし、日本人の足に徹底的に合わせています。足に負担がかかりにくく姿勢が保たれ、女性なら美脚に、男性なら疲れにくくなる構造を追求しました。
特筆すべきは、一般的な既製靴とは異なる「一生履き続けられる構造」です。通常の既製靴はソール(底)が接着剤で固定されているため、外れたら修理が困難です。しかし「Mr.HANADA」は、オーダーメイド靴と同じようにソールを張り替えれば半永久的に履き続けられる設計にしました。
価格は税込み5万5000円、サイズも21.5cm~27.5cmまで男女ともに幅広く展開しています。
特筆すべきは、一般的な既製靴とは異なる「一生履き続けられる構造」です。通常の既製靴はソール(底)が接着剤で固定されているため、外れたら修理が困難です。しかし「Mr.HANADA」は、オーダーメイド靴と同じようにソールを張り替えれば半永久的に履き続けられる設計にしました。
価格は税込み5万5000円、サイズも21.5cm~27.5cmまで男女ともに幅広く展開しています。
ブランド名に「花田」という自身の名を掲げたことには特別な覚悟があるのでしょうか?
私にとってこれは「花田」という名との戦いでもあります。これまでは「花田=相撲」というイメージが強かったですが、次の世代にとっての「花田」は靴職人である自分だという責任を持ち、その名を背負う覚悟でこのブランド名を付けました。
花田さんが30代という新たなフェーズで見据える将来のビジョンを教えてください。
自社ブランドを大きくすることよりも日本の靴業界全体を守るための活動に注力したいと考えています。現在、日本の靴工房は次々と倒産しており、このままでは数年で素晴らしい技術が失われてしまいます。
私はプレイヤー(製作者)として活動するのはあと10年ほどと考えています。残りの時間は、職人の目線で倒産しそうな工房を救ったり、他社の靴ブランドの立ち上げを支援したりと、「文化の継承者」としての責任を果たしたいと考えています。
私はプレイヤー(製作者)として活動するのはあと10年ほどと考えています。残りの時間は、職人の目線で倒産しそうな工房を救ったり、他社の靴ブランドの立ち上げを支援したりと、「文化の継承者」としての責任を果たしたいと考えています。
COMPANY INFO会社情報
- 企業名
- 株式会社こぶたか
- 代表者
- 花田 優一
- 設立
- 2016年
- 事業内容
- オーダーメイドおよび既製靴ブランドの企画・製作・販売、クリエイティブ事業(メディア出演・番組制作・出版・イベント企画・アート制作等)
- ホームページ
- https://mrhanada-yuichi-shoes.studio.site/