救急医療の最前線で磨かれた、決断・組織の本質
鳥取大学医学部附属病院
高度救命救急センター長 上田 敬博氏
極限の現場で「判断する」とは何か ― 京アニ事件被告の主治医として ―
提供:鳥取大学医学部附属病院
36人もの命が奪われた「京都アニメーション放火殺人事件」の犯人の主治医を務められました。その役割を引き受けると決まったとき、率直にどのような思いがありましたか?
事件直後、彼がどこに搬送されたかの情報がない段階から「自分の施設に来る可能性は高い」と考えていました。全身の93%という広範囲の熱傷は、医学的常識や当時のスタッフの経験値からすれば、生存の可能性は極めて低い状態です。しかし、「もし彼を救える可能性があるとしたら、自分の施設以外にはない」という自負がありました。
また、事件の約1か月前に起きた「川崎市登戸通り魔事件」で、犯人が自死して真相究明が不可能になったケースを私は重く見ていました。加害者が亡くなれば、被害者や遺族は「なぜ」という問いをぶつける先を失います。「何が何でも救命し、次のステップである法の舞台に立たせる」という強い使命感が、迷いやプレッシャーを上回っていました。
また、事件の約1か月前に起きた「川崎市登戸通り魔事件」で、犯人が自死して真相究明が不可能になったケースを私は重く見ていました。加害者が亡くなれば、被害者や遺族は「なぜ」という問いをぶつける先を失います。「何が何でも救命し、次のステップである法の舞台に立たせる」という強い使命感が、迷いやプレッシャーを上回っていました。
医師として一人の患者と向き合う中で、ご自身の中で決めた「ブレてはいけない軸」は何だったのでしょうか?
相手がどのような人間か分からない中でのスタートでしたが、「正面から向き合う」と覚悟を決めました。彼には「私と対峙することから逃げるなよ」とも伝え、一対一で対峙し続けました。
ネット上では美談のように語られることもありますが、現場はもっと過酷で、時には「ふざけるな」と厳しく接することもありました。中途半端な接し方では通用しない相手に対し、一人の人間として真っ向からぶつかることが私の揺るぎない軸でした。
ネット上では美談のように語られることもありますが、現場はもっと過酷で、時には「ふざけるな」と厳しく接することもありました。中途半端な接し方では通用しない相手に対し、一人の人間として真っ向からぶつかることが私の揺るぎない軸でした。
極度の緊張感のある環境下で、ご自身のメンタルをどのように保っていたのでしょうか?
約4か月間、自分でも「よく壊れなかったな」と思うほどの環境でした。救命という明確な目標があったため、周囲の風評や雑音に対する葛藤はありませんでしたが、患者背景が特殊ゆえに身近な人にも一切相談できなかったことが苦しかったです。
特に精神を削られたのは、「万が一彼が死亡した時にメディアの前でどう説明するか」という自分へのプレッシャーです。夢の中で彼の死亡記事を見て飛び起き、病棟に走って向かって生存確認しては安堵する、そんな極限状態でした。
そんななか支えになったのは、医師、看護師、薬剤師などチーム全員が「救命して次のステップへつなぐ」という同じ方向を見ていたことです。この「チームでスクラムを組んでいる」という感覚が私のメンタルを維持してくれました。
特に精神を削られたのは、「万が一彼が死亡した時にメディアの前でどう説明するか」という自分へのプレッシャーです。夢の中で彼の死亡記事を見て飛び起き、病棟に走って向かって生存確認しては安堵する、そんな極限状態でした。
そんななか支えになったのは、医師、看護師、薬剤師などチーム全員が「救命して次のステップへつなぐ」という同じ方向を見ていたことです。この「チームでスクラムを組んでいる」という感覚が私のメンタルを維持してくれました。
そうした極限状態において、冷静に判断を下し続けるための秘訣はあるのでしょうか?
私は治療をする際に、将棋と同じように常に5〜6手先を読み、複数のストラテジーを立てるようにしています。プランAがダメなら次はプランBという方針をいくつも立てていましたが、この時は実際の治療が想定から外れることはほとんどありませんでした。
面白いことに、状況が過酷になればなるほど自分でも驚くほど落ち着く癖があるようです。これは過去に「附属池田小事件」や「JR福知山線脱線事故」など、数々の凄惨な現場を経験してきた積み重ねかもしれません。急変時に怒鳴る医師もいますが、それではチームが萎縮するだけです。緊迫した場面ほど意識的に「ありがとう」と言葉をかけ、チームに安心感と冷静さを伝播させるようにしています。
面白いことに、状況が過酷になればなるほど自分でも驚くほど落ち着く癖があるようです。これは過去に「附属池田小事件」や「JR福知山線脱線事故」など、数々の凄惨な現場を経験してきた積み重ねかもしれません。急変時に怒鳴る医師もいますが、それではチームが萎縮するだけです。緊迫した場面ほど意識的に「ありがとう」と言葉をかけ、チームに安心感と冷静さを伝播させるようにしています。
救急医療体制の立て直し ― 地方の病院で日本トップクラスの救急医療を ―
提供:鳥取大学医学部附属病院
鳥大病院に赴任された2020年当時、救命救急センターはどのような課題を抱えていましたか?
臨床としての機能はありましたが、大学病院として不可欠な「教育」と「研究」に課題がありました。若手を指導する体制が整っておらず、スタッフが教科書を片手に試行錯誤している状態で、右か左か判断に迷う場面で道を示す存在が必要でした。
立て直しにあたり特に力を入れたのは何でしたか?
まず徹底したのは、「指示に従って動いた結果、何が起きても自分が全責任を取る」と明言することです。リーダーが盾になることで若手は自信を持って動けるようになります。また、エビデンスに基づいたアカデミックなカンファレンスを導入するなどし、医療の質を底上げしました。
外部との連携については、1年目は学内の他の診療科、2年目は圏内の消防、3年目は近隣病院との連携に力を入れて3年計画で進めました。実績と熱意を示し続けることで徐々に信頼を得られていったのだと思います。
外部との連携については、1年目は学内の他の診療科、2年目は圏内の消防、3年目は近隣病院との連携に力を入れて3年計画で進めました。実績と熱意を示し続けることで徐々に信頼を得られていったのだと思います。
2022年、救命救急センターは鳥取県から「高度救命救急センター」に指定されました。「組織が変わり始めた」と実感した瞬間はどんな場面でしたか?
スタッフが自立し、私がいなくても、あるいは指示を出さなくても、現場が阿吽の呼吸で動いているのを見た時です。以前は私への依存度が強かったのですが、いまでは看護師も含め自分たちで考えて質の高い医療を提供できるようになりました。
チーム医療に不可欠なチームビルディング ― 成果を出し続ける組織の条件 ―
上田センター長が考える「良いチーム」とは、どのような状態ですか?
私は学生時代からラグビーをしているのですが、ラグビーの名将・平尾誠二さんから学んだ「いかに味方を活かすか」を全員が考える集団です。自分が目立とうとするのではなく、仲間のために最高のパスを出しお膳立てをする。欠点を探して攻めるよりも、それぞれの良いところを伸ばす方が組織は圧倒的に強くなると考えています。
また、良いチーム作りのために、上田センター長はどのような役割を担うことを心がけていますか?
医師を頂点とする古いヒエラルキーではなく、多職種が対等にリスペクトし合う環境を作ることです。例えば、薬剤師や看護師は、医師が気づかない細かな点によく気づいてくれます。彼らの専門性を頼り、敬意を払うことが信頼の基盤になります。
また、「トップダウン」と「現場への委任」の判断の使い分けについては、基本的には現場に裁量を与え、レッドライン(致命的な境界線)を越えそうになった時だけ修正をかけます。ギリギリまで我慢して任せる勇気が現場の自律性を育むと考えています。
また、「トップダウン」と「現場への委任」の判断の使い分けについては、基本的には現場に裁量を与え、レッドライン(致命的な境界線)を越えそうになった時だけ修正をかけます。ギリギリまで我慢して任せる勇気が現場の自律性を育むと考えています。
医療と企業、分野は違っても「人を率いる」という点は共通しています。リーダーにとって重要だと感じるポイントは何でしょうか?
一言で言えば「忍耐」です。自分ができることを若手に任せるのは、最初は時間がかかり、もどかしいものです。しかし、手を出したくなるのを我慢し、後ろから見守る。失敗を経験させ、そこから這い上がらせることでしか人は育ちません。
また、自分と意見が合わない部下を「なぜ聞かないのか」と責めるのではなく、「なぜ彼は拒んでいるのか」と相手の背景を考えることもリーダーの重要な役割だと感じています。スタッフを一人の人間として、経歴やスキルだけでなく、その人の“人となり”を見てあげてください。私は今でも、スタッフの体調の変化や家族のことなど、仕事以外の悩みにも耳を傾けるようにしています。「あなたたちのキャリアは自分が責任を持って考えている。一人も見捨てない」と言葉に出して伝え続けることも重要です。そうした一対一の信頼の積み重ねこそが、揺るぎないチームを作るのだと私は信じています。
また、自分と意見が合わない部下を「なぜ聞かないのか」と責めるのではなく、「なぜ彼は拒んでいるのか」と相手の背景を考えることもリーダーの重要な役割だと感じています。スタッフを一人の人間として、経歴やスキルだけでなく、その人の“人となり”を見てあげてください。私は今でも、スタッフの体調の変化や家族のことなど、仕事以外の悩みにも耳を傾けるようにしています。「あなたたちのキャリアは自分が責任を持って考えている。一人も見捨てない」と言葉に出して伝え続けることも重要です。そうした一対一の信頼の積み重ねこそが、揺るぎないチームを作るのだと私は信じています。
COMPANY INFO会社情報
- 企業名
- 鳥取大学医学部附属病院
- 代表者
- 武中 篤
- 所在地
- 〒683-8504 鳥取県米子市西町36番地1
- ホームページ
- https://www2.hosp.med.tottori-u.ac.jp/