
「日々創造」を体現する総合加工業!グループの挑戦で新たな価値を創り続ける。
日創プロニティ株式会社
代表取締役 石田 徹氏
実家でのアルバイトがキャリアの原点

早速ですが、まず石田社長のご経歴についてお聞かせいただけますか。
私は会社のある福岡の出身です。少しだけ外に出た時期もありましたが、基本的にはずっと福岡で過ごしてきました。子どもの頃は好奇心旺盛で、とにかくじっとしているのが苦手なタイプでしたね。毎日何かしらにチャレンジしていました。
例えば、スポーツだと水泳、サッカー、野球、バスケットボールと、何でもプレーしました。ちょっと変わったところでは、習字やピアノもやりましたね。どれも親にやらされていたわけではなく、自分が好きで「やりたい!」と思って始めたものばかりです。日曜も忙しかった。
会社は、私の父が1978年に個人事業として立ち上げたのが始まりです。その後、1983年に法人化して日創工業有限会社となります。小さな会社で、当時の私には継ごうという気持ちはありませんでした。
私は1992年に入社したので、今年で33年目となります。その間に会社も大きく変わりました。1997年には株式会社に改組し、2007年には株式上場を機に現在の「日創プロニティ株式会社」へ社名を変えました。2016年からはM&Aを通じて、グループ経営という新しいチャレンジに取り組んでいます。
例えば、スポーツだと水泳、サッカー、野球、バスケットボールと、何でもプレーしました。ちょっと変わったところでは、習字やピアノもやりましたね。どれも親にやらされていたわけではなく、自分が好きで「やりたい!」と思って始めたものばかりです。日曜も忙しかった。
会社は、私の父が1978年に個人事業として立ち上げたのが始まりです。その後、1983年に法人化して日創工業有限会社となります。小さな会社で、当時の私には継ごうという気持ちはありませんでした。
私は1992年に入社したので、今年で33年目となります。その間に会社も大きく変わりました。1997年には株式会社に改組し、2007年には株式上場を機に現在の「日創プロニティ株式会社」へ社名を変えました。2016年からはM&Aを通じて、グループ経営という新しいチャレンジに取り組んでいます。
お父様が創業された当時についても教えてください。
父は営業畑の人間で、モノづくりには全く縁がないタイプでした。実は叔父の方が製造系の仕事をしていたんですよ。名古屋でトヨタ関係の仕事に携わっていた叔父に、父が「福岡でこんな事業を始めたいから、手伝ってくれ」と誘い、呼び戻したのがきっかけだったようです。
その後、プレス機を何台か購入して製造を始め、できた製品を建材商社さんに売り始めました。当時はちょうど需要があったようで、作っても作っても足りないほどだったと聞いています。
もともと、この種の製品は板金屋さんが手作りで作っていたものです。それを父が工業化し、大量生産して市場に出したことで、価格がぐっと下がりました。すると、板金屋さんは仕事を取られることになり、それまで自前で作っていたものが、工務店から「今後はこれを買って取り付けてくれ」と求められるように変わっていったそうです。
当時の父の苦労について具体的にはあまり覚えていませんが、新しい製品を市場に浸透させる過程で、板金屋さんとの摩擦や競争といった課題に向き合っていたんじゃないかと思います。
その後、プレス機を何台か購入して製造を始め、できた製品を建材商社さんに売り始めました。当時はちょうど需要があったようで、作っても作っても足りないほどだったと聞いています。
もともと、この種の製品は板金屋さんが手作りで作っていたものです。それを父が工業化し、大量生産して市場に出したことで、価格がぐっと下がりました。すると、板金屋さんは仕事を取られることになり、それまで自前で作っていたものが、工務店から「今後はこれを買って取り付けてくれ」と求められるように変わっていったそうです。
当時の父の苦労について具体的にはあまり覚えていませんが、新しい製品を市場に浸透させる過程で、板金屋さんとの摩擦や競争といった課題に向き合っていたんじゃないかと思います。
石田社長が会社を継がれたきっかけは何だったのでしょうか。
実は学生時代、実家の事業には興味がなかったんですよ。どんな仕事をしているのかも詳しく知りませんでしたし、当時の自分には別にやりたいこともありました。
私が入社した頃は、まだ社員が10数名、売上も2~3億円程度でした。扱っていたのは建物の腐食を防ぐための銅製装飾金具で、これをプレス加工で作っていましたね。今でも、神社仏閣や和風住宅でよく使われていますよ。
実家の事業に関わるきっかけは、運転免許の取得に必要な資金を稼ぐためにアルバイトを始めたことです。正直に言うと、働くのに実家は都合が良かったという程度の理由でしたね。ところが、実際に働いていると「モノを作る」のが面白くなって。想像していた以上に手応えを感じ、私も次第にモノづくりへの熱意を抱くようになりました。
その後もしばらくは製品作りを続け、そこから営業にも携わるようになり、事業全体の流れややりがいを肌で感じるようになりました。この経験が、私のキャリアの原点ですね。
私が入社した頃は、まだ社員が10数名、売上も2~3億円程度でした。扱っていたのは建物の腐食を防ぐための銅製装飾金具で、これをプレス加工で作っていましたね。今でも、神社仏閣や和風住宅でよく使われていますよ。
実家の事業に関わるきっかけは、運転免許の取得に必要な資金を稼ぐためにアルバイトを始めたことです。正直に言うと、働くのに実家は都合が良かったという程度の理由でしたね。ところが、実際に働いていると「モノを作る」のが面白くなって。想像していた以上に手応えを感じ、私も次第にモノづくりへの熱意を抱くようになりました。
その後もしばらくは製品作りを続け、そこから営業にも携わるようになり、事業全体の流れややりがいを肌で感じるようになりました。この経験が、私のキャリアの原点ですね。
無限にある”金属加工の拡大とチャレンジ精神で上場を実現

そんな歴史もありながら、会社を拡大させてこられたわけですね。現在の事業について、一番の特徴や強みを挙げるとすれば、どの部分でしょうか?
当社の強みは「加工」です。
今でこそさまざまな事業を展開していますが、始まりは金属加工でした。父はよく「加工は無限にあるもの」と話していまして、金属のみならず、極端に言えば「加工であれば素材は何でもいい」と考えていたようです。当時は作れば作るほど売れていく状況だったので、そこそこの利益を上げていたのだと思います。
一方で、父は商売の幅を広げることにも積極的でした。例えば、母に任せたブティック事業は最大で20店舗ほどの規模に成長しましたし、観光客向けの飲食店も4店舗ほどまで拡大しました。別に輸入家具の事業もあって、どの事業も40年間ほど続きましたね。母が引退したタイミングで、これらの事業は人に譲りました。
父は、商売になりそうなものを見つけると、すぐに実行していきました。私と同じく「面白そうだ」と感じたことには、すぐに興味を持って挑戦するタイプだったんですね。
その後は、経営資源を日創工業(現:日創プロニティ)に集中させます。需要があった建材分野での事業拡大を目指し、従来の銅だけでなく鉄の加工にも注力すると、同時期に九州に台風が上陸して鉄製品が大ヒットしました。これを契機に、金属加工の幅を広げていくことで売上規模を拡大し、2007年の上場につながったんです。
こう振り返ると「チャレンジ精神」も当社の強みかもしれませんね。
今でこそさまざまな事業を展開していますが、始まりは金属加工でした。父はよく「加工は無限にあるもの」と話していまして、金属のみならず、極端に言えば「加工であれば素材は何でもいい」と考えていたようです。当時は作れば作るほど売れていく状況だったので、そこそこの利益を上げていたのだと思います。
一方で、父は商売の幅を広げることにも積極的でした。例えば、母に任せたブティック事業は最大で20店舗ほどの規模に成長しましたし、観光客向けの飲食店も4店舗ほどまで拡大しました。別に輸入家具の事業もあって、どの事業も40年間ほど続きましたね。母が引退したタイミングで、これらの事業は人に譲りました。
父は、商売になりそうなものを見つけると、すぐに実行していきました。私と同じく「面白そうだ」と感じたことには、すぐに興味を持って挑戦するタイプだったんですね。
その後は、経営資源を日創工業(現:日創プロニティ)に集中させます。需要があった建材分野での事業拡大を目指し、従来の銅だけでなく鉄の加工にも注力すると、同時期に九州に台風が上陸して鉄製品が大ヒットしました。これを契機に、金属加工の幅を広げていくことで売上規模を拡大し、2007年の上場につながったんです。
こう振り返ると「チャレンジ精神」も当社の強みかもしれませんね。
あえて上場という道を選ばれたのは、なぜでしょうか。
正直なところ、最初は「とりあえずやってみよう」という感覚でした。2005年に突然「上場してみようか」という話が出たんですよ。当時はまだ私の父が社長で、私は取締役の立場でした。
「ところで上場ってどうやるの?」というところからのスタートでしたね。準備のために詳しい人材を採用して、内部体制の整備や審査対応など、いろいろと大変でしたが、初めての経験で面白さもあって、何とかやり切りました。
上場会社に入社する人は多くいますが、会社の上場を経験できる人は非常に稀です。国内を見ても、上場企業は約3,000社しかありませんから。上場準備の現場に立ち会えるというのは、本当に貴重な機会だったと思います。思い返しても、ためらいは全くなかったですよ。
「ところで上場ってどうやるの?」というところからのスタートでしたね。準備のために詳しい人材を採用して、内部体制の整備や審査対応など、いろいろと大変でしたが、初めての経験で面白さもあって、何とかやり切りました。
上場会社に入社する人は多くいますが、会社の上場を経験できる人は非常に稀です。国内を見ても、上場企業は約3,000社しかありませんから。上場準備の現場に立ち会えるというのは、本当に貴重な機会だったと思います。思い返しても、ためらいは全くなかったですよ。
これまで会社を経営される中で「これは大変だった」といった出来事はありますか。
上場してから2期連続で赤字を出してしまった時は辛かったですね。上場する前は30年以上、一度も落とすことなく増収増益を続けていて、それが私たちの自負でもありましたから。
今振り返ると、上場したことでどこか達成感のようなものが生まれてしまったのかもしれません。また、外部環境の厳しさを感じ始めた時期でもありました。
今振り返ると、上場したことでどこか達成感のようなものが生まれてしまったのかもしれません。また、外部環境の厳しさを感じ始めた時期でもありました。
そういった苦しい状況下で、ご自身を奮い立たせてきた考え方などはありますか。
何よりも、まず「悩まないこと」が大切ですね。悩んでも結局、なるようにしかなりません。また、常に手を止めることなく何かしらに取り組んでいます。
良い時も悪い時も変わらず、新規事業を立ち上げたり、新製品を開発したり、とにかく新しいことに挑戦し続けていますね。現状維持では衰退するばかりですから。
良い時も悪い時も変わらず、新規事業を立ち上げたり、新製品を開発したり、とにかく新しいことに挑戦し続けていますね。現状維持では衰退するばかりですから。
「日々創造」の理念を掲げ、常に異色の会社を目指す

新しいことに取り組んでいると伺いましたが、社長室に掲げられている「日々創造」は、創業のころからの考え方ですか?
「日々創造」は、まさに当社の創業精神そのものです。この理念から「日創」という社名が生まれました。日々、何かを創造し、新しいことにチャレンジする。それが当社の社風でなければならないと思っています。
その「新しいこと」の1つとして、M&Aを始められています。取り組み始めた背景には何があったんでしょうか。
当社はもともと、金属にこだわっていたわけではありません。上場するまでは金属加工に集中していたものの、それは投資をしながら「加工」の幅を広げていくためでした。
創業当初は「プレス加工」だけでしたが、そこから「ロール成形」や「レーザー加工」といった別の工程も始めました。通常の金属加工会社は、プレス加工ならそれを突き詰めるといった垂直方向の深掘りが一般的です。しかし、我々は水平展開に挑戦する、少し変わった会社なんですよ。
ある時はお客さんからの要望に応えて新しい加工に着手したり、またある時は「売れている」という他社製品の陳列を見ながら「うちで作りますからぜひ取り扱ってください」とお願いしたり。そうやって製品を増やしていったんです。
加工領域が広がった結果、小ロットから大量生産まで、ワンストップで対応できるようになり、お客さんにとっての利便性も向上しました。我々は、いわば「加工のコンビニエンスストア」ですよ。材料も銅だけに留まらず、ステンレスやアルミ、スチールなど幅広い種類を扱える。この体制を事業のスタイルとして確立させたことも、上場への大きな後押しとなりました。
こうして新しい加工領域に挑戦する中で、さらに事業の幅を広げるために外部の力を取り入れる必要性を感じたことが、M&Aを始めたきっかけでしたね。
創業当初は「プレス加工」だけでしたが、そこから「ロール成形」や「レーザー加工」といった別の工程も始めました。通常の金属加工会社は、プレス加工ならそれを突き詰めるといった垂直方向の深掘りが一般的です。しかし、我々は水平展開に挑戦する、少し変わった会社なんですよ。
ある時はお客さんからの要望に応えて新しい加工に着手したり、またある時は「売れている」という他社製品の陳列を見ながら「うちで作りますからぜひ取り扱ってください」とお願いしたり。そうやって製品を増やしていったんです。
加工領域が広がった結果、小ロットから大量生産まで、ワンストップで対応できるようになり、お客さんにとっての利便性も向上しました。我々は、いわば「加工のコンビニエンスストア」ですよ。材料も銅だけに留まらず、ステンレスやアルミ、スチールなど幅広い種類を扱える。この体制を事業のスタイルとして確立させたことも、上場への大きな後押しとなりました。
こうして新しい加工領域に挑戦する中で、さらに事業の幅を広げるために外部の力を取り入れる必要性を感じたことが、M&Aを始めたきっかけでしたね。
新しいことを次々とやってこられたと、すごく簡単にお話されていますけど、一方で収益は求められます。難しい局面もあったのではないでしょうか。
確かに、収益性を求める中で新しいことにチャレンジするのは簡単ではありません。実際、取締役会でも設備投資に対して指摘されることもあります。でも、挑戦している以上、失敗することだって当然ありますよ。
毎年、それなりに新しい機械を導入しています。お客さんのニーズに応えて購入する機械もありますが、それだけでは物足りないんです。将来的な可能性を感じる機械を先行して買い、新たな分野に挑戦することも多いですね。
新しい機械を導入すると、営業部隊も動かざるを得なくなる。結果として新しいお客さんとのつながりが生まれ、事業の幅が広がっていくことだってあるんです。もちろん、すべてが成功するわけではありません。実際、10台導入したうちの1つが当たれば御の字ですよ。
減価償却費は確かに大きな負担です。でも、それを恐れて現状維持に走ると、会社の成長は止まってしまう。新しい挑戦を続けることで、事業も広がっていくんですよ。
毎年、それなりに新しい機械を導入しています。お客さんのニーズに応えて購入する機械もありますが、それだけでは物足りないんです。将来的な可能性を感じる機械を先行して買い、新たな分野に挑戦することも多いですね。
新しい機械を導入すると、営業部隊も動かざるを得なくなる。結果として新しいお客さんとのつながりが生まれ、事業の幅が広がっていくことだってあるんです。もちろん、すべてが成功するわけではありません。実際、10台導入したうちの1つが当たれば御の字ですよ。
減価償却費は確かに大きな負担です。でも、それを恐れて現状維持に走ると、会社の成長は止まってしまう。新しい挑戦を続けることで、事業も広がっていくんですよ。
そうして事業を拡大していく中で、一番大事にされてきたことは何でしょうか。
やはり「チャレンジすること」ですね。これは絶対にブレない軸です。我々は常に「変わった会社」を目指しており、それが他社さんとの差別化につながりました。
当社の事業体制は全国的にも珍しく、とあるコンサル会社さんから「金属加工会社の異端児」と言われたほどです。お客様の多様なニーズに応えるためにも「変わっている」と言われる方が、むしろ都合がいいんですよ。
そもそも、当社は技術屋が立ち上げた会社ではなく、他社さんとは出発点が全く違います。確かに、技術屋さんによる会社は、その技術を深掘りしていくことで大手メーカーへと発展していきました。
一方で当社の場合、ディープな技術は特に持っていません。むしろ市場やお客様からのニーズに応えていくことで、影響力を拡大してきました。だからこそ、市場のニーズに応えつつ、将来の需要を生み出すための投資も惜しみません。結果的に、チャレンジを続ける会社になっているわけです。
例えば、単なる買い替え需要で設備投資しても、それだけでは事業の成長は見込めません。同じことができる機械を新規導入したところで、同じ工程の効率が少し上がるだけで、償却負担を考えると大きな利益は出ない。どこも似たような機械を購入して、同じような製品を作っていますから。
だからこそ、当社は「ちょっと変わった感じ」を目指しています。常に新しいことに挑戦し、これまでと異なる視点や方法を取り入れる。それがなければ成長は見込めません。チャレンジこそが、当社の成長の原動力なんです。
当社の事業体制は全国的にも珍しく、とあるコンサル会社さんから「金属加工会社の異端児」と言われたほどです。お客様の多様なニーズに応えるためにも「変わっている」と言われる方が、むしろ都合がいいんですよ。
そもそも、当社は技術屋が立ち上げた会社ではなく、他社さんとは出発点が全く違います。確かに、技術屋さんによる会社は、その技術を深掘りしていくことで大手メーカーへと発展していきました。
一方で当社の場合、ディープな技術は特に持っていません。むしろ市場やお客様からのニーズに応えていくことで、影響力を拡大してきました。だからこそ、市場のニーズに応えつつ、将来の需要を生み出すための投資も惜しみません。結果的に、チャレンジを続ける会社になっているわけです。
例えば、単なる買い替え需要で設備投資しても、それだけでは事業の成長は見込めません。同じことができる機械を新規導入したところで、同じ工程の効率が少し上がるだけで、償却負担を考えると大きな利益は出ない。どこも似たような機械を購入して、同じような製品を作っていますから。
だからこそ、当社は「ちょっと変わった感じ」を目指しています。常に新しいことに挑戦し、これまでと異なる視点や方法を取り入れる。それがなければ成長は見込めません。チャレンジこそが、当社の成長の原動力なんです。
経営判断の源は「社員とのコミュニケーション」

石田社長は、社員と接する際にどんなことを大切にされていますか。
私は「誰とでも隔たりなく話すこと」を大切にしていますね。例えば、自社の工場を訪れた際には、パートさんも含めて全員に声を掛けます。子会社でも同じで、役員だけでなく、社員さんはもちろんアルバイトさんにも積極的に話しかけます。
これには理由があって、誰とでも話さないとまともな情報が手に入らないんですよ。社内で正しい情報がきちんと伝わっているか、社員の中にどんな声があるのかを確認するためには、全ての階層の人たちと直接話する必要があります。
また、製造業を営む上では、現場の社員さんとの接点が私自身の物差しを正確にするメリットもあるんです。この機械が1日にどれくらい稼働しているのか、この製品はどれくらい保管されているのか、といった現場のリアルな状況を把握できます。これらの情報が頭の中でリンクすると、「この機械でこれくらいの製品が作れる」というような、現場に基づいた経営判断ができるようになるんです。
取締役会で製品開発の進捗などを議論する際にも、正確な現場感覚があれば、的確な意思決定が可能です。情報のズレが少なくなって、無駄な議論や誤った舵取りも防げますね。
これには理由があって、誰とでも話さないとまともな情報が手に入らないんですよ。社内で正しい情報がきちんと伝わっているか、社員の中にどんな声があるのかを確認するためには、全ての階層の人たちと直接話する必要があります。
また、製造業を営む上では、現場の社員さんとの接点が私自身の物差しを正確にするメリットもあるんです。この機械が1日にどれくらい稼働しているのか、この製品はどれくらい保管されているのか、といった現場のリアルな状況を把握できます。これらの情報が頭の中でリンクすると、「この機械でこれくらいの製品が作れる」というような、現場に基づいた経営判断ができるようになるんです。
取締役会で製品開発の進捗などを議論する際にも、正確な現場感覚があれば、的確な意思決定が可能です。情報のズレが少なくなって、無駄な議論や誤った舵取りも防げますね。
M&Aした会社の中には、製造に特化している点において企業文化を擦り合わせるのに大変なことはないのでしょうか?
実は、あまり大変だと感じたことはありません。M&A後には工場を訪問して、社員の皆さんと直接お会いし、一緒に食事をしながら「これからはこんな風にしていこう」と話し込む機会をつくるようにしています。
この姿勢は、とても大事です。役職者ならある程度は状況を理解していますが、現場で働く社員さんの多くは不安を抱えています。だからこそ、まずは私たち自身を知っていただく必要があるんです。
もちろん、個々の都合で全員が参加できるわけではありませんが、私は基本的に別け隔てなく、全員と直接コミュニケーションを取りたいと思っています。
この姿勢は、とても大事です。役職者ならある程度は状況を理解していますが、現場で働く社員さんの多くは不安を抱えています。だからこそ、まずは私たち自身を知っていただく必要があるんです。
もちろん、個々の都合で全員が参加できるわけではありませんが、私は基本的に別け隔てなく、全員と直接コミュニケーションを取りたいと思っています。
新たな価値を作り出し、下請けからの脱却へ。市場に直接届けられる企業に。

グループ会社であるカナエテ株式会社の洗面化粧台ブランド「Crafree」
HP:https://crafree.jp/
HP:https://crafree.jp/
世の中や業界に対して日創プロニティが与えていきたい影響など、大きなビジョンはありますか。
モノづくりの現場って、我々も含めて多くの場合「下請け」なんですよ。そこで、新しい製品を開発し、自らの手で市場に届けることで、そこからの脱却を目指したいと考えています。
せっかく高い技術力を持っていて、良いものを作れるのであれば、自分たちで製品を企画・開発し、世に送り出すべきなんですが、長年にわたって「下請け」としてやってきた体質が根強く残っていて、なかなかその方向には舵を切れないんですね。
一方で、我々はそこに大きな価値を見出しています。そのため、素材や技術に強みを持つ企業をM&Aでグループに迎え入れ、力を合わせて製品を自前で開発し、独自の商品を市場に送り出していく方針です。
一例として、社員が新規事業として立ち上げたカナエテ株式会社では、2025年3月から「Crafree」というブランドの洗面化粧台の販売を始めます。木材加工、タイル製造、そして金属加工というM&Aによるグループ会社の強みを新製品に組み合わせた結果、モダンかつスタイリッシュなデザインを実現し、業界内でも非常に好評でした。
洗面化粧台に特化したメーカーって、意外に無かったんですよ。キッチンなどは大手メーカーがシェアを握っていて我々では太刀打ちできませんが、こちらはチャンスがあると考えました。もともとBtoBだけでなく、一般ユーザー向けの事業も手掛けたいという思いがありましたので、一石二鳥ですね。
せっかく高い技術力を持っていて、良いものを作れるのであれば、自分たちで製品を企画・開発し、世に送り出すべきなんですが、長年にわたって「下請け」としてやってきた体質が根強く残っていて、なかなかその方向には舵を切れないんですね。
一方で、我々はそこに大きな価値を見出しています。そのため、素材や技術に強みを持つ企業をM&Aでグループに迎え入れ、力を合わせて製品を自前で開発し、独自の商品を市場に送り出していく方針です。
一例として、社員が新規事業として立ち上げたカナエテ株式会社では、2025年3月から「Crafree」というブランドの洗面化粧台の販売を始めます。木材加工、タイル製造、そして金属加工というM&Aによるグループ会社の強みを新製品に組み合わせた結果、モダンかつスタイリッシュなデザインを実現し、業界内でも非常に好評でした。
洗面化粧台に特化したメーカーって、意外に無かったんですよ。キッチンなどは大手メーカーがシェアを握っていて我々では太刀打ちできませんが、こちらはチャンスがあると考えました。もともとBtoBだけでなく、一般ユーザー向けの事業も手掛けたいという思いがありましたので、一石二鳥ですね。
今後もそうしたM&Aによるシナジーがどんどん生まれていくのが非常に楽しみですね。最後に、会社としての今後の展望についてお聞かせください。
モノづくりが好きなので、これからも事業承継をした会社さんとタッグを組み、一緒に新しい事業展開を進めていきたいと考えています。我々のグループ内で新製品や新規事業を立ち上げることで、下請けから脱却し、価値を直接市場に届けていける企業を目指します。
例えば、現状では我々が100円で卸したものが、大手メーカーさんのブランド力によって200円で売られています。それ自体に不満はありませんが、我々自身も「メイドインジャパン」というブランドを掲げれば、大手メーカーに負けない価値を提供できるはずです。
国内には、メイドインジャパンと胸を張れる、素晴らしい技術を持ったモノづくりの会社がたくさんあります。彼らは長年のノウハウを蓄積し、下請けとして高品質な製品を作り続けていますが、自力でブランドを作って世に出していくのは非常に難しいのが現実です。
だからこそ、我々のような会社と手を組むことで、グループの一角として新たなブランドを創り出すことが可能になります。それは単に製品を作るだけでなく、1つの価値を生み出す取り組みです。やってみると本当に面白いですし、企業の生き残りにもつながります。
これからも、グループ全体で可能性を広げ、メイドインジャパンの価値を最大限に引き出す事業を展開していきたいと思っています。
例えば、現状では我々が100円で卸したものが、大手メーカーさんのブランド力によって200円で売られています。それ自体に不満はありませんが、我々自身も「メイドインジャパン」というブランドを掲げれば、大手メーカーに負けない価値を提供できるはずです。
国内には、メイドインジャパンと胸を張れる、素晴らしい技術を持ったモノづくりの会社がたくさんあります。彼らは長年のノウハウを蓄積し、下請けとして高品質な製品を作り続けていますが、自力でブランドを作って世に出していくのは非常に難しいのが現実です。
だからこそ、我々のような会社と手を組むことで、グループの一角として新たなブランドを創り出すことが可能になります。それは単に製品を作るだけでなく、1つの価値を生み出す取り組みです。やってみると本当に面白いですし、企業の生き残りにもつながります。
これからも、グループ全体で可能性を広げ、メイドインジャパンの価値を最大限に引き出す事業を展開していきたいと思っています。
COMPANY INFO会社情報
- 企業名
- 日創プロニティ株式会社
- 代表者
- 石田 徹
- 所在地
- 福岡県福岡市南区向野2-10-25
- 設立
- 1983年
- 事業内容
- 金属加工事業
- ホームページ
- https://www.kakou-nisso.co.jp/