“アイドル”と”お茶”で世界へ広がる会社を目指す。そのきっかけは自身のルーツにあり

“アイドル”と”お茶”で世界へ広がる会社を目指す。そのきっかけは自身のルーツにあり

Sizuk Entertainment 株式会社
代表取締役
湯浅 順司氏

自身のルーツは「アイドルヲタク」と「ビジュアル系バンド」にあり

自身のルーツは「アイドルヲタク」と「ビジュアル系バンド」にあり


アイドルに興味を持ち始めたきっかけを教えてください。

私がアイドルに興味を持ち始めたのは高校1年生の頃で、グラビアアイドルに惹かれたのがきっかけです。
その後、たまたまそのグラビアアイドルがCDを出す機会があり、そこからアイドルの音楽にのめり込みました。

モーニング娘。が登場してからは、グループアイドルの魅力に取り憑かれている自分に気づき、四期生の石川梨華さんが、私の1番の「推し」でした。

大学時代には、より本格化したアイドルヲタクとしての生活を送っていたんですよ。
法政大学に2時間半かけて通学しながら軽音楽サークルでギターを弾き、朝から夜まで活動する日々。
夜は自分のバンドのライブかアイドルのライブに行き、大学3年になると週末にはエイベックスにあるアカデミーの作曲家コースにも通っていました。
ダブルスクールで忙しい毎日を送りながら、さらにバイトもこなしていたんです。
振り返ってみると、大学時代も分刻みのスケジュールで本当に充実していましたね。


すごい活動量ですね。バンド活動もしていたのですか?

バンド活動も活発に行い、26バンドを組んでLUNA SEAやL'Arc〜en〜Cielの曲をコピーしていたこともありました。
経済学部に在籍して株を専攻していたので、普通なら銀行や証券会社への就職が一般的でしたが、就職活動にはあまり興味がなかったんです。
バンドで成功するか、作曲家として生きていきたいと考えていました。


では就職活動はどうされたんですか?

初めは就職活動をするつもりはなかったんです。
ただ、ある日レコード会社の存在を知ったんですよ。
テレビでレコーディングの様子を見ていると、アーティストに指示を出すディレクターの姿がありました。
さらにその背後から指示を出していたのが、レコード会社の社員でした。
作曲家としての夢を持ちながらもレコード会社の仕事にも興味を持つようになり、試しにレコード会社の採用試験を受けてみることにしたんです。

新卒で8社のレコード会社を受け、そのうちの1社に合格したのは、まさに運命だったのかもしれません。
たしか倍率が約700倍で、6人しか選ばれない中で、私はその1人に選ばれました。

親の目もあって形式的には就職活動をしていたものの、本気で就職するつもりはなかったので、実際に合格したときは驚きました。
もし落ちていたら、韓国に留学してK-POPでのキャリアを考えていたかもしれません。
結果として2005年にレコード会社への就職が決まりました。


レコード会社に就職が決まったことは、大きな転換点になったようですね。

大きく変わりましたね。
ヲタクとしての活動は続けていましたが仕事に集中するようになり、次第に新しい目標に向かって進むようになったのがこの時期です。
レコード会社での経験は私にとって大きな転機となり、現在のキャリアの基盤を築くことになりました。

キングレコードに入社、そして秋元康氏とAKB48に出会う

キングレコードでの最初の仕事について教えてください。


アニメ関連の営業でした。
営業職は自社の商品を良さや魅力を深く理解し、アニメイトやゲーマーズといった店舗にCDやDVDを売り込むことが求められました。
特に水樹奈々さんのCDやエヴァンゲリオンのDVDを扱ったことが印象に残っています。
アニメ業界の独特な制作過程や音楽の作り方について学ぶことができたので、営業は良い経験だったと思います。

営業を1年間担当した後、その実績が評価されてアニメのディレクターに昇進しました。
非常に厳しく、制作スケジュールがタイトな中で、フィルムやセル画を使った伝統的な手法でアニメを完成させることは大変でした。

しかし、この大変な作業の中でプロデューサーやディレクター職の本質に気づきました。
プロデューサーは周囲の状況を見極め、アーティストや作家、エンジニアと円滑に仕事が勧められるようなコミュニケーションをすることが求められます。
このおもてなし精神が求められるような役割が自分の性格に合っていると感じ、次第にプロデューサー職に魅了されていきました。

その後、25歳でJ-POPの部署に移ってからは、幻想楽団のSound Horizonや、「トイレの神様」で後に有名になる植村花菜さんといったアーティストを担当していました。


かつてテレビで見た仕事に就かれたのですね。プロデューサーやディレクターにはどんな魅力がありましたか?


最大の魅力は、自分で発掘したアーティストを育てることにあります。先輩たちもライブハウスを巡り、私も多くのアーティストを探す日々が続きました。

やがて、ビジュアル系バンドやK-POP、アイドルといった、自分が本当にやりたいジャンルに挑戦する機会が訪れました。
特にアイドルを探すためにはさまざまなライブ会場を訪れていましたが、大手業者が活動している中で、新しいグループとどう連携するかは模索していましたね。


そんな中で、AKB48のプロジェクトに関わることになったそうですね?


偶然、AKB48の劇場に足を運ぶ機会がありました。
AKB48のパフォーマンスを見たとき、その魅力に圧倒されましたね。
劇場での彼女たちのエネルギッシュなステージは印象的で、衣装や楽曲も素晴らしいと感じたんです。
その後、キングレコードでCDを出すことを秋元康先生が了承してくださり、「大声ダイヤモンド」をリリースすることになりました。
このプロジェクトに関わることができたのは、本当に素晴らしい経験です。


キングレコードの社員として AKB48を担当した5年間を振り返るといかがでしたか?


担当になった当初は、非常に緊張しました。
秋元先生をはじめ周囲の方々が非常に仕事がお早い方々で、多くの事務所が関わっている状況が25歳の私には大きなプレッシャーでしたが、最終的には楽しいと感じることができました。

今思い返しても非常に貴重な時間でしたね。
この期間中、プロデューサーやディレクターとしての多くの学びがありました。
選抜総選挙管理委員長を担当したり、たくさんのCDやDVDを作ったり、レコーディングを行ったりと、さまざまなプロジェクトに携わっていましたね。
アーティストやスタッフとのコミュニケーションの重要性を実感し、プロジェクト全体を見渡す視野を養うことができたのは、今でも私にとっての大きな財産になっています。
そして、その後のキャリアにも大いに役立ちました。

30歳という節目で独立。苦労のコロナ禍を経て、ついに自らアイドルグループを立ち上げ

30歳という節目で独立。苦労のコロナ禍を経て、ついに自らアイドルグループを立ち上げ
写真:Sizuk Entertainmentがプロデュースする、初のアイドルグループ「LarmeR(ラルメール)」


2013年頃、30歳を迎える前に将来について真剣に考えたとのことですが、その背景を教えてください。

キングレコードでの仕事はやりがいがありましたが、祖父の営むお茶屋をいつか継がなければ、という責任も感じていたんです。
また楽曲制作で個人的にお声がけいただくことも増えてきて、独立を決意するタイミングだと思いました。
それで、30歳という節目に独立することを決断したんです。


独立当初の状況は厳しかったそうですね。

独立してから10年間、自分のほかに社員はおらず、ほとんどの業務を1人でこなしていました。
独立後はAKB48のチーフプロデューサーをキングレコードとの業務委託で継続しながら、TVアニメやVTuberの仕事をいただくようになり、特に東宝アニメーションとの業務委託で「ちびゴジラ」の音楽制作に携わるなど、有難いことに仕事の幅が広がっていきました。
会社に所属するよりも、個人として仕事をする方が私の性格やスタイルに合っていましたね。
自分の能力を活かしてさまざまな仕事に取り組むことができました。
特にアニメや声優関連の仕事が多く、音楽制作の依頼も増えてきました。楽器を教えるお仕事もしました。
この時期には便利屋のような役割を目指して、さまざまな仕事を受けるようにしていたことも思い出しますね。
レコード会社での経験を活かし、作曲家とのマッチングサービスを提供するなど、レコード会社の事情を分かっているからこその、独自のサービスを展開しました。
それと同時に、ずっとどこかで「いつかアイドルをプロデュースしたい」という夢も持ち続けていました。


そんな中、コロナ禍に突入してしまいましたね。

コロナ禍は、音楽業界全体に大きな打撃を与えましたね。
AKB48のCDリリースやイベントが中止になり、私自身も大きな影響を受けました。
エンターテインメントは一番お金をかけなくていいものだと気づいたんです。どうあっても衣食住のほうが大切ですからね。
その一方で、人が辛い時に何が大事かというと、衣食住だけではない「エンタメだ」とも思ったんです。

過去には被災地でボランティア活動をした経験から、アイドルの持つパワーを強く感じていました。
東日本大震災後に被災地を訪れ、歌や握手、グッズを届ける活動を続ける中で、生のライブの力を実感しています。
親を亡くし、昨日まで一度も笑えなかった子どもが、アイドルのライブによってその瞬間だけでも笑顔を取り戻したんです。
そうした子どもたちの姿に、アイドルというエンターテインメントの持つ力を感じていたんです。

だからこそ、コロナ禍という困難な時期をなんとか耐え抜き、コロナが収まったタイミングでアイドルをプロデュースする決意を固めたんです。
独立から11年で、これまでの自分の経験やネットワークを活かして、アイドルグループ『LarmeR(ラルメール)』を立ち上げ、デビューさせることができました。
初めて仲間といえる社員も雇うこととなり、今ではチームとして、Sizuk Entertainmentを運営しております。


当時の厳しい中で、お茶屋も継いだと聞きました。

祖父のお茶屋も2020年4月に継いで、音楽の仕事と並行してお茶の販売も行うようにもなりました。
コロナ禍でしたが店を閉めることはできず、閑散とする商店街で営業を続けていましたね。
お茶業界も大きな影響を受けましたが、見た目や香りが華やかなお茶を販売し始めたり、初めて出品したお茶で日本茶AWARDの審査員奨励賞を受賞するなどして、新しいアイデアを取り入れながら乗り越えてきました。

水が集まれば川となり、海となる。目標は、1人ひとりの頑張りが世界へ水のように広がること

水が集まれば川となり、海となる。目標は、1人ひとりの頑張りが世界へ水のように広がること
多くの苦労を乗り越えてきた「Sizuk(しずく)」ですが、社名の由来を教えてください。

専門学校時代の友達でAKB48などの作曲もしている「俊龍」くんと組んでいたユニット名が「Sizuk(しずく)」だったことから、会社は1人で始めたものの、名前をつけるなら「Sizuk(しずく)」がふさわしいと思ったんです。

会社の理念も「一雫 -ひとしずく- から世界の海へ」にしました。
水は私たちの暮らしに絶対に必要なものであり、入れ物によって形が変わり、色をつければその色がつく、何にでも変わるものです。
老子や黒田官兵衛が「上善は水の如し」と言ったように、人も水のように清らかで柔軟であるべきだという教えがあります。
この理念が「Sizuk」に込められています。

「雫」が集まれば「川」となり、最終的には「海」となります。
それと同じように、社員が増えてその1人1人が頑張ることで、大きな「力」となり、世界に広がることを目指しています。
今プロデュースしているアイドルグループ『LarmeR(ラルメール)』も、Larme→涙・雫 La mer→海 から生まれた造語で、企業理念の「一雫から世界の海へ」を表しているんですよ。


まさに湯浅さんの想いを体現するようなアイドルグループになりそうですね。湯浅さんにこれほどまでの水に対する強い思い入れがあるのは、幼いころから接してきたお茶の影響もありそうですか?

そうかもしれませんね。祖父からも、水の大事さを聞いて育ちましたし、お茶の栽培・楽しみ方には水が欠かせません。
私たちの会社では、関東にあるお茶屋として静岡のお茶を中心に取り扱っていますが、興味深いことに、お茶の味は、水の質によっても大きく変わるんです。
例えば、九州のお茶を九州の水で淹れるのと、関東の水で淹れるのとではお茶の味が違って感じられるんですよ。水の質が味に直接影響するんです。

水はそれほど重要であり、様々な可能性秘めています。『LarmeR(ラルメール)』や自身の活動を通じて、「一雫から世界の海へ」を実現していきたいです。


「Sizuk」で世界を目指すためにも、湯浅さんがビジネスで大切にしていることはありますか?

私の仕事観として大事にしているのが、ビジネスは全員が喜ばなければ成功しない、ということです。
アイドルであれば、ファンも社員もアイドル自身も全員が幸せでなければなりません。
「誰かが犠牲になっているビジネスは長続きしない」
営業時代にこの理念に気づき、三方よしの考え方を大切にしています。


アイドルプロデュースも三方よしの考えに基づいているでのすね。 特にどのようなこだわりがありますか?

アイドルに関しては、本当に多くのこだわりがあります。
特にアイドルのブランディングは大切で、どういう見せ方をするかが非常に重要です。
もちろん音楽にもこだわっています。
絶対に譲れない部分は、良い音楽を作るときに、聴く側が楽しいと思うかを第一に考えることです。
この点に関しては、自分がアイドルヲタクだったことが功を奏しているかもしれません(笑)


湯浅さんだからこそ持てるこだわりですね。「Sizuk」に所属するアイドルならではの活動はありますか?

実は芸能事務所でありながら、定款にはお茶や海苔の販売も含まれているんですよ。
普通の芸能事務所とは少し違いますが、この独自性が海外でも受け入れられるようになってきました。そのため海外輸出も含めてお茶の展示会に参加し、日本茶の魅力を広める活動も行っています。

特に海外での反応が良く、日本の文化としての「日本茶」は、非常に興味深いと感じてもらえました。
アイドルとお茶を組み合わせたプロモーションも行い、海外の人々に日本茶の魅力を伝えられるように考えています。
これからも日本茶の良さを広め、世界中の人々に日本茶を楽しんでもらいたいですね。


最後に、今後の目標について教えてください。

今後の目標は、会社を世界に広げることです。
日本のアイドル文化とお茶文化を、世界中に広めていきたいと考えています。
K-POPが世界中で人気を集めている中で、日本のアイドル文化も同様に広がる可能性があると思っています。

また、アイドル業界に新しい風を吹かせるためにも、普通のことをやり続けていてもしょうがないと思っています。これからも新しくて面白いことを考えていきたいですね。
アイドルを目指す方や現役アイドルの方々の未来のお仕事のことなど、アイドルに関わる多くの方々が幸せになるような社会を築きたいと考えております。

また日本茶は、1000年以上の歴史を持つ文化です。
この素晴らしい文化を世界中の人々に知ってもらえたら、これ以上嬉しいことはありません。

独立後の10年間で、多くのことを学びました。
1人でスタートしたこの旅が、多くの人々との出会いや経験を通じて成長してきました。
これからも自分のルーツであるアイドルや音楽、お茶の魅力を伝え、新しい挑戦を続けていきます。


ありがとうございました。

COMPANY INFO会社情報

企業名
Sizuk Entertainment 株式会社
代表者
湯浅 順司
事業内容
作曲家、編曲家、演奏家、歌手、芸能家、著作家、翻訳家、画家、デザイナー、写真家、映像作家、音声・映像技術者等の教育、育成、指導、養成、斡旋管理業務 など
ホームページ
https://sizuk.co.jp