メーカーとしての固定観念に囚われない、革新的な企業へ

メーカーとしての固定観念に囚われない、革新的な企業へ

サクラテック株式会社
代表取締役
大橋 翔太氏

留学、そして大手商社での経験を経て地元鉄線メーカーへ

サクラテック株式会社で代表取締役社長を務める大橋翔太(おおはし・しょうた)氏に伺います。はじめに幼少期のことからこれまでのご経歴を教えてください。


私は東大阪市の枚岡で育ちました。
枚岡は奈良県との県境に位置していて、祭りなど地元の伝統や文化が色濃く残る場所です。
幼い頃から、祖父や父の背中と地元の町工場で働く人々を見て育ち、彼らの地道で誠実な働きぶりに深く影響を受けました。今思うと自分のことよりも他人のことを大切に考える価値観は、このころ培われたのかもしれませんね。

地元の学校に通い続けたのは大学卒業までで、近畿大学時代は経営学部で学びを深めました。誰とでも仲良くするタイプでしたよ。

大学を卒業後は広い世界を体験するためにロサンゼルスへと渡り、1年間の語学留学を経て、伊藤忠丸紅鉄鋼での勤務をスタートしました。
約3年間ビジネスの基本とグローバルな商取引のスキルを磨きました。
そして2014年4月、サクラテックへの転職を決意し、2022年7月に社長に就任しました。

海外での経験が価値観を育む

海外での経験が価値観を育む
少年時代から誰とでも仲良くしてきたとのことでしたが、海外経験は様々な人とコミュニケーションをする上で何か影響を受けましたか。

留学やバックパッカーを通じては、多様な文化を学ぶことができましたね。
アメリカ滞在中、アラブの春という中東・北アフリカ地域の各国で行われた民主化運動があり、日本とアメリカ、世界の報道の違いを目の当たりにしました。
もしかしたらアラブの春が多面的な視点を持つきっかけとなったのかもしれません。


多面的な視点…確かに大切ですが難しさもありますよね。多面的な視点を持つために特に意識していることはありますか。

私は軸となる自分の価値観をしっかり持ちつつ、異なる文化や人々の考え方に対しても好奇心を持って接しています。また、相手の立場や気持ちを理解しようとする姿勢を大切にしています。

結果として、今の私は、伝統的で保守的な面と革新的な面の二面性を持っているのだと思います。
海外での経験が、今のコミュニケーションに大きな影響を与えたことは間違いないですね。

19歳から続けている「パワーアップノート」の存在

今までの人生で大切にしてる言葉や影響受けた事柄があれば教えてください。


俳優を目指していた友人からの影響を受けて、19歳からパワーアップノートと呼ばれるノートをつけています。
パワーアップノートは夢や目標を記録するためのもので、今だと大谷翔平選手がつけていたマンダラチャートのようなものです。
当時から社長になるって決めていたので、具体的な目標を持ち、目標を達成するための計画を立てていて、今でも続けているんです。

「鉄は熱いうちに打て」心に刻まれている父からの言葉

パワーアップノートに書いた言葉で、特に大切にしているものはありますか?

父から教わった3つの言葉があります。ひとつは、「鉄は熱いうちに打て」、もう一つは「環境変化に対応して変わり続けなければならい」、最後は「うまくいったら仲間に感謝、うまくいかなければ自分の責任と思え」です。

「鉄は熱いうちに打て」は、鉄鋼会社ですので文字通りの意味もありますが、機会を逃さず、何かを後回しにしないことの重要性を教えてくれました。

また、「環境変化に対応して変わり続けなければならい」は、私自身も今の時代、現状維持は実質的な衰退に繋がるという危機感から、適応して生き残るために進化し続けることが大切だと感じています。

「うまくいったら仲間に感謝、うまくいかなければ自分の責任と思え」は言葉通り、仲間への感謝の気持ちは忘れないようにしています。ひとりでは大きな目標は達成できないですからね。そしていかなる状況でも責任感をもって行動することで仲間が安心して働ける環境づくりを心掛けています。


「鉄は熱いうちに打て」という言葉は、仕事にどのような影響を与えていますか?

新しいプロジェクトを始める時や、困難な決断を迫られた時に、常に前進し続けることの重要性を思い出させてくれます。

仕事においても、チャンスを見極めて迅速に行動を起こすことが、成功への鍵です。
新技術を導入する際や市場拡大を図る際には、常にリスクが伴いますが、「鉄は熱いうちに打て」という言葉を思い出し、許容できるリスクかどうかはしっかり見極めた上で、機会を逃さないよう”賢くリスクをとる”ことを心掛けています。

家業を継ぐことの覚悟

家業を継ぐことの覚悟
家業を継ぐのは大変そうですが、事業を継承した経緯を教えてください。

実は家業を継ぐまでに色々なことがありました。
サクラテックは設立から85年になりますが、創業は設立よりもさらに前です。
枚岡は、古くから金属を細く伸ばす『伸線業』が盛んで、その起源は江戸時代末期まで遡ります。当時は京都のかんざし向けに針金がつくられていたといわれています。また、奈良県との県境にある生駒山の麓に位置し、谷の急流を活かして水車を動力として伸線業が発展してきました。昭和40年代には、伸線メーカーが140社程存在しており、まさに一大産業だったんです。

しかし需要環境がどんどん悪くなり、当時社長であった父の決断で、元々2拠点あった大阪本社工場と岐阜工場のうち、大阪本社工場を閉鎖し、同時に隣接していた大橋家代々の生家も売却しました。もし自分が社長なら同じ決断が出来たか正直わかりません。

自分が生まれ育った自宅と、いつか働くと思い目指していた場所が取り壊されていくんです。今でもあの光景は目に焼き付いており、当時祖父母にその場で電話して涙しながら「おれがサクラテックを何とかする!」と、覚悟を決めて宣言したことを鮮明に覚えています。

間もなくして、尊敬する祖父が亡くなったのも大きな転機でした。
祖父が亡くなった後、お別れ会の広い会場の祖父の遺影の前で、初めて2人で父と深い話をしたんです。父の想いも初めて聴き、家業を引き継ぐことの意義を深く理解し、自分の使命として真に受け入れました。

メーカーとしてのプライドとの葛藤

メーカーとしてのプライドとの葛藤
大橋氏がサクラテックに所属して最初に感じた気づきはなんですか?

最初に感じたのは、業界の厳しさと、革新の必要性でした。
私たちの会社は、古くから高品質な針金製品を製造してきました。
私が入社した頃は売り上げが過去最低でしたが、商社マンとしての営業経験を活かして、がむしゃらに
改善をしていきました。


社長になるまでに感じた気づきはなんですか?

父から早く仕事を受け継ぐべきと考えながらもなかなか認められずに悩んでいた時に、ビジネススクールの先生に「今の考え方のままでは、営業として結果を出せば出すほど目標から遠ざかる理由がわかるか?」と言われた時にはっとしました。社長としての自分の立ち位置について深く考えさせられましたね。

私は結果をキッチリ出し続ければ認められて、社長交代してくれると思っていました。しかし、それはサラリーマンとしてのトップに立つためのアプローチであったということに気が付いたのです。
よくよく考えれば、父が社長で、息子が実務をやって結果が出続けている、となればそのままの体制で良いですよね。ある意味既に営業としての結果は認められていたんですよね。

その後、まずは考え方から変えました。自分が早く社長に”なるべき”、から3年以内に社長になる”と決めました”。そうするとすべての行動が自然と変わっていきました。

その結果2021年の春先に、会社の方針を大きく変える決断をし、その1年後の2022年7月に社長に就任しました。
この時期は、コロナやロシアウクライナ戦争などの影響を受けて、業界自体が厳しい状況にありましたが、自ら役員報酬を削るなどの犠牲も払いながら、仲間と共に会社を改革してきました。共に危機を乗り越えてくれた従業員には本当に感謝しています。


サクラテックに入社以来、大変だったことはなんですか?

会社は徐々に成績を改善していきましたが、一番大変だったのは、自分たちの仕事は、高品質の針金の製造”だけ”である、という従業員のマインドを変えることでした。

良く言うと”メーカー”としてのプライドが高いのですが、自分たちが得意なものはコレ、という想いが強すぎてお客様から求められていることに徐々に対応できなくなっていたのです。
要は自分たちの得意なことと、お客様から求められていることにずれが生じ始めていて、このままでは徐々に収益が下がっていくという危機感がありました。
まずは自ら動いて背中で見せながら、変革推進プロジェクトチームを組成しました。目指すべき姿を一致させるためにビジョン合宿を行い、このままのやり方では頑張っているのにじり貧であることを認識してもらうことで、チームメンバーと共に地道に変革を推進してきました。

結果的に、お客様のニーズにあった新たなビジネスモデルを構築することで、会社のリスク低減と収益アップの両方を達成することが出来ました。

従業員が誇りに思えるような会社づくりを

お父様の言葉通り、変わり続けているんですね。今後はどのような会社を作っていきたいですか?

みんながハッピーになる会社を作っていきたいと思っています。
私たちの会社では、ミッション、ビジョン、バリュー、理念を大切にしているので、共感してくれる人を採用しています。
自身の幸せが会社の幸せに結果としてなるような働き方ができたら、社会にとっての幸せになると思っています。

従業員一人ひとりが安心して働ける環境を整えることが非常に重要だと考えていますが、ただ気楽に仕事をするということではなく、頑張って結果を出している人がしっかりと評価され、報われるシステムを構築し、文化レベルに落とし込むことが大切だと考えています。
またビジョンとしては、”最高の仲間と共に”、日本を代表するWIRE COMPANYをつくることを目指しています。
ただ、数字だけを追求するのではなく、従業員全員が会社を誇りに思えるような会社を作ることが大事だと考えていますので、仲間と共に楽しんで仕事をすることが重要です。また、仲間がいれば辛いことも乗り換えられると信じています。

総合職一般職、事務所や現場など様々な職務がありますが、共通して言えるのは、それぞれの生き方を尊重することです。
最終的には、従業員が自分の仕事を家族や友人に自慢できるような、そんな職場を目指しています。

地元産業を代表する企業を目指して

地元産業を代表する企業を目指して
地元産業の代表として、会社が今後どのような方向性を目指しているか教えてください。

地元東大阪の伝統と文化を尊重しつつ、グローバルな市場でも活躍できる企業に成長することを目指しています。
文化発信やインバウンド観光への取り組みを通じて、地域の魅力を世界に広めることも重要な役割です。
日本のモノづくりにこだわりを持ちつつ、世界のこともリスペクトして取り入れられる技術は取り入れていきます。そして、日本の技術と文化を活かした製品で、世界中の市場にアプローチしていきたいと考えています。既に国際的なパートナーシップも強化し始めています。
現在、文化発信やインバウンド観光のために、WIRE CAFEプロジェクトや、廃材を活用した針金アートのワークショップを実施しています。針金の可能性を広げると同時に、地元の文化や技術を紹介し、観光客にも楽しんでもらうための取り組みです。


地元での取り組みが地域社会にどのように影響を与えると思いますか?

私たちが行う文化活動や観光プロモーションが、地元の他のビジネスにも良い影響を与え、最終的には地域全体の経済活動を活性化させることができると信じています。
また、地元の人々が誇りを持てるような愛される企業であり続けることが、私たちの最大の使命の一つです。

COMPANY INFO会社情報

企業名
サクラテック株式会社
代表者
大橋 翔太
所在地
〒578-0905 大阪府東大阪市川田3丁目10−7
設立
昭和14年11月
事業内容
亜鉛めっき鉄線の製造
ホームページ
https://www.sakura-tech.co.jp/