経営者インタビュー

「人も機械も大事にする価値観、HUMAN OHYA」

株式会社 大矢運送

代表取締役社長

大矢一彦

父の会社に入り営業力を磨く

— 早速ですが、大矢社長のプロフィールを教えてください。

会社がある東京都江東区は、私の地元なんですよ。妻も出身地は一緒です。
生まれてから大学まで、ずっとこちらで過ごしてきました。
高校から大学にかけては、松濤館流という流派で空手に打ち込んでいましてね。
大学4年まで続けましたが、素手で瓦を割って手が痛かったことなどを覚えています。

— 空手ですか。当時のお写真も拝見しましたけど、とてもカッコいいですね!卒業後はすぐに入社されたんですか?

いえ、大学卒業後は就活もせず、アルバイト等をあまり考えずにいろいろとやっていました。
当時はバブルの頂点で、行けば誰でも就職できるような雰囲気だったんですが、いつかは父の会社を継ぐんだろうと何となく感じていたので。
実際に、父から「そろそろうちの会社に入れ」と誘われたのは平成に入ってからです。
学校を出てからだいぶ経っていましたが、このタイミングで「株式会社大矢運送」に入社しました。

— 当時の雰囲気がよく伝わってきます。今から35年ほど前のお話ですね。会社は順調だったのでしょうか。

それが、私の入社と同時にバブルも弾けたんですよ。
上り調子だった周囲の雰囲気は一変し、景気も一気に後退しました。
証券会社に就職した大学の同期もいましたけど、残念ながらバブル後に潰れちゃいましたね。

— 厳しい時代だったんですね。入社してからは、どんなお仕事をされたのでしょうか。

父は「飛び込みでも何でもいいから、仕事が取れるまで帰ってくるな」と、私に営業活動を厳命しました。
当時は社員数が少なくて、営業は自分ともう1人だけだったんです。
その方も御用聞きしかしておらず、誰も教えてくれるような環境ではありませんでした。
とにかく自分で考えて、足を使って動くしかなかった。これが私の営業のルーツです。

— 大矢社長の強みである営業は、独学で学ばれたんですね。

そうですね、営業の現場で自ら学んできました。
2003年には父が会長に退いたため、私が二代目として代表取締役社長に就任しましたが、営業の最前線には今でも立っています。

運送からクレーンに転換して事業を拡大

— 入社当時の会社の規模は、どれくらいだったのでしょうか。

今でこそ230人を超えましたけど、私が入社した当時の社員数は30人足らずでしたね。

もともと大矢運送は、父が千葉の九十九里の白子町から上京して個人創業した会社です。
当時の事業は、工場で生産されたビルの鉄骨等をトラックやトレーラーで建設現場に運ぶ仕事がメインでした。
運送でお世話になっていた大口の顧客がダムの水門なども作っていまして、その際にクレーンが必要だったんです。
彼らの要望に応えるかたちでクレーン事業が立ち上がり、地方の大きなインフラを作る仕事を請け負うようになりました。
私が入社した当時も、メインは地方の仕事でしたよ。

— なるほど。それが、今の大矢運送の中核となるクレーン事業につながっていくのですね。バブルが終わって不景気になっていく中、どうやって新規開拓されたのでしょうか。

当時は、地元である東京の街を車で走ると至るところで再開発やビル建築が行われていて、同業他社のクレーンをたくさん見かけました。
ですが残念なことに、我々は東京に拠点がありながら、地元で自社のクレーンを立てられなかったんですよ。
そこにバブルが弾けて、大口の顧客がビル鉄骨の生産から撤退してしまいました。
つまり我々の仕事が無くなったわけですが、だからといって従業員は簡単には減らせません。

そこで私は、地元・東京での仕事を請け負って諸問題をクリアしようと考え、都内にたくさんある建設現場の仕事に狙いを定めます。
会社のクレーンを増やした上で大手ゼネコンに必死に営業をかけることで、都内の仕事へのシフトを成功させました。

— 念願だった地元の仕事を、自らの手で獲得されたんですね!しかし、本業だった運送部門はどうされたのでしょうか。

そうなんですよ。もともとの事業である、輸送セクションも減らしたくありませんでした。
そこで目を付けたのが、クレーン事業での活用です。
クレーンの多くは自走できますが、巨大なクレーンはバラバラに分解してから運びます。
この運搬に空いていた輸送部隊を充てることで、自ら仕事を増やしたんです。

さらに、ぬかるみの工事現場やイベントなどで敷設される養生敷鉄板にも注目しました。
敷鉄板はとても重く、1枚の重量は1.6tです。
この鉄板をたくさん保有し、輸送部隊を使って運ぶというリース業も手がけています。

— それはすごい!全てのピースが上手くハマっていますね。大矢社長の手腕には感服します。

ありがとうございます。
おかげさまで、今日では全ての事業のうちクレーン関連が8割強を占めており、輸送は2割弱、敷鉄板で1割弱といった割合で推移しています。
2015年からは、FC東京(サッカーJ1リーグ)のクラブスポンサーも始めました。

仕事の魅力は、世の中のお役に立てること

— お仕事の魅力について、教えていただけますか。

自己満足かもしれないけど、世の中のお役に立てるのが魅力ですね。
みなさんが快適に過ごせる住居やオフィス、あるいは新幹線の橋桁など、生活に必要なインフラを作るお手伝いをするのが我々の仕事です。
反対に、震災などで発生した瓦礫を撤去するのも我々なんですよ。

— 私たちが想像する以上に、クレーンはいろんなシーンで活躍しているんですね。

そうなんです。ここにビルを建てたい、あちらに橋を架けたいと言っても、クレーンがないと実現できません。
世の中はカーボンニュートラル一色で、原発から風車やバイオマス発電へのシフトが進んでいますが、それらも結局、我々の大きなクレーンがないと建てられませんから。
みなさんの快適な生活のために、我々は縁の下の力持ちとしてがんばっています。

また我々の事業は、一般の人ができないようなスケールの大きい仕事ができるのも魅力です。
自分たちが携わった大きなインフラが完成した時は、仕事冥利に尽きますよ。

24時間365日、気が休まらない

— しかし、大きなお仕事をされていますから、苦労も絶えないのではないのでしょうか。

本当に、毎日が苦労の連続です。24時間365日、気が休まりませんね。
私の携帯電話は、どこにいてもひっきりなしに鳴るものですから。

230人の社員のうち、200人近い人間はクレーンの操縦や重量物の運送で全国各地に散らばっています。
最近で言えば、某外資系企業の半導体工場が九州地方で建設中でして、そちらにもクレーンを出しており、現場は24時間作業で夜中も動いています。
したがって携帯電話は夜中にも鳴るんですけど、それが吉報であることは絶対にないんですよ。
でもしょうがないから、趣味の旅行中でも携帯電話を枕元に置いています。
とにかく気が休まりません。

— お話を伺っているだけで大変さが伝わってきます。スケールが大きい事業ですから、危険なシーンもあるでしょう。

そうですね。我々の事業は非常に大きなものを取り扱っていますので、常に危険が伴います。
クレーンは一つ間違えればひっくり返りますし、事故が起きると大きく報道されます。
一方で、お客様からしたらできるのが当たり前なので、その期待に最大限応えていくのですが、無理して事故が起こったら、それは100%自分たちの責任です。
私はこれらのリスクと共存しながら、割り切って仕事をしていかなければなりません。

— そのリスクを、大矢社長が一身に背負っておられる。

そう、本当にいろんなことが起きますが、最終的に判断できるのは経営者である私だけです。
時には損切りを決断する必要もありますし、現地で私が謝らないと収まらない案件もあります。

そもそも、営業活動や資金調達も含めて、私は全てのマネジメントを手がけているんですよ。
現場で自ら営業して、取った仕事に合わせて設備投資を決断して、銀行から資金調達して、メーカーと交渉して、事故が起きたらその対応もあります。
ただ、全部やるから面白いというのも事実です。チャンスロスもありませんし。

— 本当に、経営者となられた今でも、営業の第一線に立たれているんですね。

もちろんです。その営業現場では、二代目という看板も活かしています。
例えば、現場でお客様から仕事を依頼された時に、一般の会社員であれば「一旦持ち帰って上司と相談します」となりますが、私は二代目だから「いいですよ、すぐにやります。あとで父に何とかねじこんでおきます」とか言えるんですよ。
他社が稟議とか何とかやっているうちに、自社でスピード受注できるんです。
クレーンを買って準備していたら、土壇場で同業他社にやられて失注することもありますから。

私はどこまでいっても二代目です。けれども、それを使わない手はありません。
メールなんかも、あえて「二代目」というアドレスにしているくらいです。

— その発想が、我々には出てきません。同業で現場に立たれている経営者は、大矢社長くらいなのではないでしょうか。

クレーンが世の中に出始めてから60〜70年ほど経っていて、同業他社も二代目か三代目になっているんですが、現場に出ている方は多くはないと思います。優秀な方が多いんですけどね。
自分は泥臭く現場に出ているので苦労もありますが、楽しんでやっていますよ。

サブタイトルは「HUMAN OHYA」

— 大矢社長が大切にされている考え方を、お聞かせください。

社名の横に、サブタイトルとして「HUMAN OHYA(ヒューマン・オオヤ)」と付けました。
「人間・大矢」ですね。
社名を変えずにサブタイトルを付けたのには、2つの理由があります。

理由の1つが、私はあくまでも二代目だからです。
「大矢運送」は古めかしい社名で、現在のメイン事業ともマッチしていません。
「垢抜けた社名にしない?」とか「大矢重機とか大矢クレーンにした方が分かりやすくない?」などと言われることもあるんですが、父が作った会社ですから社名は変えようとは思いません。
それよりも、大矢運送はクレーン屋であることを世の中に知らしめた方がもっといいと思ったんですよ。

— まさに逆転の発想ですね。

そしてもう1つの理由が、私が人間を大事にしているからです。
金融緩和でここ10数年は金余りが起きていますので、お金はいくらでも調達できます。
ところが人間はお金じゃ買えません。また、人がいないと機械を動かせられません。
ポンプなどのリース業であれば機械を貸すだけで黙っていても収入がありますが、クレーンの場合は貸しても誰も使えないんです。
いくら立派なクレーンを買っても、乗れる人間を確保しないと売り上げは立たない。
我々の事業でいちばん大事なのは、お金ではなく人間なんですよ。

— いちばん大事なものは人間。本当の意味で、そこまで言い切れる経営者は少ないと思います。サブタイトルが付くと、外部からの視線も変わってきますか?

変わりますね。「HUMAN OHYA」は会社のイメージアップにも一役買っています。
大きなクレーンって、とてもいかついでしょ?
時には事故が起きることもあるから、世間でもヒール役みたいなイメージですよね。
確かに機械は鉄の塊に過ぎませんが、操縦しているのはあくまでも人間です。
人間らしく気持ちを持たせようと考えて、機械にも「HUMAN OHYA」を掲げました。

このように、社名の横の「HUMAN OHYA」は、人も機械も大事にしますよという姿勢と、垢抜けたタイトルがあってもいいという思いが込められているんです。

社員も機械も「HUMAN OHYA」を背負う

— サブタイトルの「HUMAN OHYA」、社員の皆さんはどう受け止めているのでしょうか。

社員には「HUMAN OHYA」という看板を背負っているということを、いつも頭に入れて行動して欲しいと伝えています。
人に優しいことを売りにしておきながら、我々のドライバーが左折時に、横断歩道を渡る人をのけぞらせるような運転をしたら、それは「HUMAN OHYA」ではありませんよね?
こんなところでも「HUMAN OHYA」は活かされています。

— なるほど。それは社員の皆さんも、いい意味で緊張感を持って働けますね。

そして、人だけではなく機械も大事にするというのが「HUMAN OHYA」です。
機械は夢焦がれながら買って、償却6年のクレーンでも15〜20年ほど使います。
価値がなかなか下がらないので、機械を金融商品のように回すところもありますが、「HUMAN OHYA」と書いている我々が1年かそこらで売り払うのはおかしいですよ。
突然、言葉も分からない海外に売り飛ばしたら、機械も可哀想ですし。
中古で買ってきた機械でも、当社では絶対にオールペンして大矢運送の一員にします。
色を塗ると、長く使いたくなるんですよね。
また、機械を売買する際は必ず納車式やお別れ式を開いて、お神酒をあげます。
そうやって、機械も人間と同じように扱っているんです。

— 機械も人間と同じように扱う!大矢社長のところに集まる社員さんや機械たちは、本当に幸せですね。

おっしゃる通り「HUMAN OHYA」の旗のもと、会社に携わる人全員を幸せにしたいですね。
機械を大事にしながら丁寧に仕事をして、お客様に喜ばれる。
社員にも、大矢運送で働いていてよかったなと喜んでもらいたいです。

休日はFC東京を応援しながら各地を旅行

— ご多忙な大矢社長ですが、休日はどのようにお過ごしでしょうか。

休日は、スポンサードしているFC東京の試合の応援をメインに、地方の旅を満喫しています。
シーズン中であればサッカーの試合は毎週あり、週末の試合は欠かさず観戦します。
ほとんどの試合の応援席にいるので、サポーターの間でも有名になってしまいました。

もともと家族全員が旅行好きで、以前は週末になるといろんな観光地等によく出かけていました。
ところが、サッカーはホームでの試合以外にアウェーでの試合もあるので、応援にいけば全国を旅することになります。
そこで、今までの趣味をミックスして、応援しながら旅行も楽しむことにしました。

— 羨ましい限りです。FC東京のクラブスポンサーは、なぜ始められたのですか。

FC東京のクラブスポンサーは、地元を背負って戦う彼らとシナジー効果が期待できると考えたのがきっかけです。
我々の会社も東京に拠点がありますから、地元で商売をしたいという思いがあります。

クラブスポンサーは大手の上場企業が名を連ねており、我々もそこに迎え入れてもらえました。
いくらお金があっても、真っ当でない会社はJリーグのスポンサーにはなれませんので、大矢運送のブランドや信頼度は高まったと思います。
クラブスポンサーは、リクルートやお客様との話題にも使えていますね。

— クラブスポンサーには、さまざまな効果があるんですね。試合がない時期は、どう過ごされているんですか?

Jリーグのオフシーズンは、夫婦で関東近郊の温泉宿に泊まってリフレッシュしています。
そんなこんなで、週末はとにかく旅行していますね。

ごっつぁんゴールじゃない、必然のゴールだ

— いろいろと貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございます。最後に、今後の展望や目標をお聞かせください。

展望や目標は特にないのですが、お客様のニーズに合わせて設備投資することで、世帯を強固なものにしたいと考えています。
また、海外のプラント建設などにも携わって、事業を広げてみたいですね。
ただ世帯を大きくするのではなく、時代のニーズに合った機材を積極的に設備投資する。
それが成長の意味です。がむしゃらに大きくするつもりはありません。

— 本当に、素晴らしいビジョンです。メインのクレーン事業は、どう推移していくとお考えですか?

足元の現場では、クレーンの需要が急増しています。
折からの人手不足で、機械に頼らざるを得なくなっているんです。
実際に、人材が潤沢だった10年前と比較しても、同じビルを同じ工程で建てるのにクレーンが倍の数ほど必要になっています。
例えば、人手が必要な溶接やボルト止め作業が発生しないよう、最近では鉄骨が大きめに作られていて、クレーンも大きなものが求められるんですよ。
大きな機械は高価なので、これからは設備投資できない会社は生き残っていけません。

— 人手不足はいろんな業種から聞こえてきますが、それによってクレーンが大きくなるというのは初耳です。今後は、資金調達がキーとなりそうですね。

その資金の調達先である銀行には、売上額の見込みや利益率、設備投資額などを聞かれます。
ですが、お客様が仕事をくれなかったら成り立ちませんから、行き当たりばったりなところもあるのが正直なところです。
このタイミングでこの機械が必要だから買う。その繰り返しで、今は少し無理して買っています。

— ということは、大矢社長の絶妙なバランス感覚と舵取りが今後も欠かせないのですね。

おっしゃる通りでして、これからも私なりに頑張っていこうと思います。
そんな私のやり方を見て「大矢さんは逆張りだよね」とか言う人がいるんですよ。
だけど、私は常に張っているんです。

例えば、リーマンショックで周りが手を出さない中、あえて投資して利ざやが出たことがあります。
周囲からは「大矢さん運がよかったね」と言われましたが、単に誰も買わなかっただけです。
サッカーでも、こぼれ球をたまたま近くにいた選手が決めて「ごっつぁんゴール」と言われることがありますが、私から言わせればごっつぁんでも何でもない、必然のゴールです。
誰もゴール前に詰めていない中で、その選手だけ必死に詰めているから、ボールが来た時にシュートを打てるんですよ。

— 確かにそうですね!我々もお話を聞いてとても励みになります。本日はありがとうございました。

これからも多少のリスクを承知で、人と機械を大事にしながら常に張っていきますよ!

会社情報

企業名
株式会社 大矢運送
代表者
代表取締役社長 大矢一彦
所在地
〒136-0082 東京都江東区新木場1-12-19
設立
昭和36年4月
事業内容
運送事業
ホームページ
https://www.human-ohya.co.jp/

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